(2)エローラ/アジャンタ
本文へジャンプ 2006年02月13日(月)、14日(火) 
Counter
総合案内 (1)ムンバイ (3)オーランガバート  (4)デリー再訪 (5)カルカ→シムラのトイ・トレイン (6)シムラの町
前回(2002年)のインド

エローラ(Ellora) 2006.02.13(月) 気温32度                                                        

エローラ16窟の2階への階段を登った所で記念撮影。
インド人は写真を撮られるのが好きだ。写真を撮っていると「私を撮れ」と集まってくる。
写真を撮って欲しいと集まった遠足中の女子中学生。赤い制服が可愛い。



女子中学生ばかりでなく男子もいた。


子供達などの写真。
クリックで拡大(下)。 エローラ16窟
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
写真10
写真11
写真12
写真13
写真14
写真15

If you are reflected in this photographs, Please send an e-mail to me. If you write your school address on the mail, I will send many printed photographs to your school.
バシバシ写真を撮ったらこんなに多くなった。
デリーの女子高生2006.02.18


土産売り子の攻勢にはヘキエキとするが、エローラは、流石にインドの観光名所だ。
周辺から見物し、この16窟(写真下)でハイライトを迎える。エローラには仏教とヒンズー教の建造物があるが、ここはヒンズー教の建物だ。
建物(16窟)の2階から。



写真

後からの16窟(写真下)

エローラは、16窟だけ入場料が必要だ。休場日、入場料、開場時間などは最下段の写真参照



建物内部礼拝堂なのだろう。
ススで天井は黒いが、壁は
色が残っている。


写真

写真

写真

16窟を山側から撮る。掘って作られたの分かる。作るのに150年掛かったという。





31〜33窟。ライトマンがいて、洞窟の開口部から銀紙を貼り付けた鏡で、洞窟内部を照らしてくれる。インド系、欧米系よりも金払いのよい日本人が最優先だ。洞窟内も我々とともに移動した。無理な姿勢の力仕事だったので、気持ちを良くして50ルピー。



綿集積所(綿工場)  2006.02.14(火)  32度

オーランガバード(Aurangabad)からアジャンタ(Ajanta)へ向かう途中に、いくつかの綿の集積場(写真下)があった。その中のひとつで、写真を撮りたいと車を止めてもらった。ガイドのカーンさんが気を利かせて「中に入りたいですか」と聞いたので「当然行きたい」と答えた。
「じゃあ行きましょう」とのことで、お邪魔した。工場の人達は突然の訪問にびっくりしていたが、歓迎してくれた。

綿を運ぶトラック。綿工場の皆さんと運転手(白服)。ムンバイ方向へ運んでいくという。


上の写真で花を持っている青年の後の青年(背の高い手をかけている青年)は悪いやつだ。
お礼に20ルピーを女性代表である下写真のオレンジ服の50代女性に上げようとしたら、私の手から掻っさらった。
しかたなく、財布を取り出さずに済む、ポケットに入っていた10ルピー(みみっちいネ。チップ用)を女性に上げた。
悪いやつのほうがお金を沢山取ったのは気に食わない。50ルピー以上を女性に上げるべきだったと後悔するが、その時はみみっちい自分が勝ってしまったのだ。所詮、俺はそんな人間サと今は反省する。



摘みたてなので種が付いている。綿の近接写真




ひざまで綿に埋もれながら、綿じゃ!綿じゃ!となぜかうれしい。


写真下 集積所の皆さん。皆明るい表情だ。 日本の労働者は、こんなに明るい表情は、なかなかしないよ。
未来に夢と希望を持っている?
大きい写真←クリック 右端の青年の綿のイヤリングを見てやってください。


観光お礼に、男女の代表者2人に計30ルピー:83円(上記、掻っ攫らわれた分を含めると計50ルピー:138円)。楽しい思いをしたのにケチリ過ぎだった。綿工場を去った車の中で日本価格だと4〜5000円分の楽しさだったなんて、これまたみみっちく考えた。
If you are reflected in this photograph, please send an e-mail to me. If you write the company address on the mail, I will send printed photograph to your company.





アジャンタへ向かう途中のデカン高原風景

道路上は大きい車が中央を走る法則が支配している。トラックと擦れ違う瞬間は怖い。枯れた畑のほとんどは綿,、畑の緑は麦の葉だ。
チキンレースもどきと
動画
←クリック





アジャンタ石窟 2006.02.14 気温30度

山には乾季のため緑が少ない。

アジャンタの見所は絵画遺跡だ。一般駐車場から専用バスに20分近く乗り到着する。


アジャンタ石窟で一番有名な菩薩像(写真下)。第1窟
こちらから見ると左肩(右側)が上がって見えるが、菩薩像を奥(左)から見ると右肩(左側)が上がって見える。それが、すばらしい事なのかは分からないが、何故か感心する。


剥離が激しい。

太陽光が当る所は、色あせ変色している。





の写真の下の写真で、中央に丸く掘ってある洞窟の中にある、涅槃仏。これが良いという人もいる。第26窟。涅槃仏の大きさはこんなもの




アジャンタ石窟(写真下)

エローラ、アジャンタの見学通路や施設までの道路整備は日本のODAが使われた。上の写真の道は人がすれ違うのがやっとだったという。
そういえば、アジャンタでは駐車場で車を降りてからバスに乗らなければならない。遺跡保護だなんていう理由をつけているのだろうが、既得権や強いものを大事にして、利権を作る日本のお役人の知恵だろう。

アジャンタに向かうバス乗り場横にあるレストランで食事をした。トイレはどこかを聞いたら裏だという。裏に行ったら、原っぱがあるだけだ。その辺でしろということらしい。用を足していたら、我々と同じく店に入っていた白人の若い女性がやってきた。離れたところで、しゃがみこんだ。原っぱには、大がそこらじゅうに落ちていた。

アジャンタからオーランガバードの飛行場へ向かった。ムンバイ経由デリー行きに乗る。オーランガバードに来る飛行機が遅れ、夕刻のデリー到着予定が、夜22時着になる。

エローラ、アジャンタの休日情報


エローラ、アジャンタの建築物は、柔らくて軽い花崗岩を削って出来ていた。




(3)観光拠点のオーランガバートへ続く
(2/13 月)←エローラ観光の後、ホテル近くでチャイを飲む。



ホームページへ戻る



上の旅行は、カーンさんが同行した。
2002年の最初のインド旅行時に、彼がガイドをしてくれたので、今回も頼んだのだ。
カーンさんにガイドを頼めば気楽に、安心して密度が高い、いろいろな経験が出来る。
インドの方々も、ガイドに案内されている観光客ということで、私に対して気楽に対応してくれる。
旅行途中には私へ、いろいろな人が話しかけてきたが、その時はサーと近寄り「私はガイドで、彼はお客の日本人だ。(多分)」と言っていたので、怪しげなやつは寄ってこない。
カーンさんは2005年の愛知博にインド館員として来日した。日本語がベラベラである。

インド旅行でガイドを頼みたいときは、是非、彼に連絡してください。
費用などは知らないので、彼にメールで直接問い合わせてください。

MrKarn san連絡先:maksan4u#yahoo.co.in
change # -> @
jushin suru PC ga eigo no tame ro-maji de renraku shite kudasai.

私は、彼のガイド料を知らない。(知りたくも無い)
ローマ字のメールでインド国内の飛行機や列車の切符手配、ホテル予約も頼んだが、了承したのは私と親しいからだろう。彼(の会社)が先払いした。

2〜3年したら、東南側インドへ行くつもりだ。

 取捨写真(2006インド)
inserted by FC2 system