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ベネチア観光(2011.07.13(水)〜07.15(金)

ベネチアは、38年ぶり2度目の訪問だ。

2011.07.13(水)
ミラノからの特急列車がベネチアのサンタ・ルチア駅に入る。17:20

17:25駅着。

サンタルチア鉄道駅前の広場から、ヴァポレットと呼ばれる水上バス(No1線)でホテルのあるサンマルコ広場駅へ向かう。

1時間券の領収書。6.5ユーロ。17:39

10月にリュックの中からしわくちゃで見つかった。(2011.10.追記)

ヴァポレットからの景色。17:50




リアルト橋をくぐる。18:02



サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が見える風景が、懐かしい。


停車駅に近づくと、乗務員が「サン・マルコ」と大声で言うので降りる準備をする。18:25

水上バスの駅。はしけ(艀)製の駅である。
このときにヴァポレットから降りてすぐ立ち止まってしまう乗客が多かった。自分が後ろの人の降りる邪魔になるのに気付かないのだ。人が密集する場所での行動に慣れていない人たちが集まる、大観光地なるが故だろう。

駅の横がチェックインするモナコホテルのレストランだった。チェックインは、ここからから30メートルのところにある入口を入る。ホテルの部屋はそこから150m程歩く。

ホテルはサンマルコ広場の隣にある。部屋は写真の店上の3階だ。

壁と柱はレンガで、梁は木材。内部は最新設備に変更さてれいた。しかし、インターネット(有料)はホテルモナコのロビーでしか使えなかった。

一時間で1000円だ。高い。

夕食にペンネ・アラビアータを食べた。
実はペンネ・アラビアータはミラノが本場という話をどこかで聞いたことがあり、ミラノで昼食に食べたかったのだが、ミラノ観光の部で記述したように時間が無く立ち食いピザにしてしまったので、ここで食べた。写真は食べかけで失礼。
アラビアータ:14ユーロ、ビール2杯:14ユーロ+サービス料12%。19:21

美味かった。

サンマルコの鐘楼から。
19:58


19:58


赤い屋根と灰色の壁にするようベネチア市の条例で決まっているに違いない。屋根瓦は赤っぽい様々な赤色が使われているのを見て、北京の故宮や上海万博中国館は、赤色錐体の疲労を防ぐため、色合いを変えた赤が使われているのを思い出した。
しかし、ここではそんな細かいことじゃなくて「赤っぽい瓦を使えばいいだろう」と職人や家主が勝手にバラバラな瓦を使った気がする。20:02

20:08


鐘楼を降り、サンマルコ広場を歩いていたら、マンホールから水が湧き出してきた。
その水を鳩が飲んでいたので、塩水ではないのだろう。20:23
動画

サンマルコ広場。水溜りが出来ている。 20:28

大きな写真

サンマルコ広場裏にあるゴンドラ乗場。横じま模様のボーダーシャツと黒いズボン姿の漕ぎ手のお兄さんやおじさんが客引きをしている。

観光客相手の仕事しかない地域だ。ゴンドラの漕ぎ手になるにも、利権やら競争やらが厳しいのだろうなあ。

ここベネチアでも、サマータイムのため夜9時まで明るい。



2011.07.14(木)
朝食前にサンマルコ広場や周辺を散歩する。

朝食後、観光。

今日は街中の散策だ。 ローマ広場から観光しながらサンマルコ広場まで歩くことにする。
まず、ヴァポレットで、列車駅の隣にあるローマ広場へ向かった。

船上から。サンタルチア駅前にあるヌカルツィ橋。10:40




ローマ広場で降りて散策開始。

しばらく歩いて、ヌカルツィ橋からの景色。11:07


反対側。右はサンタルチア駅前広場。11:07


昼食はピザ。

リアルト橋。ここまで結構歩いた。14:56


リアルト橋からの景色。15:00

リアルト橋からの景色。


このような露地を歩く。サンマルコへは案内板が出ているので迷わない。


ようやくサンマルコ広場に着。15:26




ドゥカーレ宮博物館に入る。16:04

内部


ドゥカーレ宮博物館を出て、サンマルコ宮殿へ入ろうとしたら長蛇の列だった。
後に来ることにして、ヴァポレットでアカデミア橋へ行くことにする。

アカデミア橋からの景色。16:52


サンマルコ広場へ戻ってサンマルコ宮殿へ入ろうとしたら、17:00で閉館だった。17:08


サンマルコ宮殿に入れなかったので横にあるカフェでビールを飲んでいたらお腹が減っているのに気づき、ピザを食べた。
美味くない店だったが、更にビールとグラタンを頼み夕食とした。

2011.07.15(金)

ドバイへ移動の日だ。
今日も朝食前にサンマルコ広場や周辺を散歩する。

朝食後に、出発まで散策。

サンタマリア教会。9:23



サンタマリア協会の裏にあるこの2メートルを超える大きさの少年像は、前回訪問時は無かった。
真っ白なのとカエルの足指など細い部分があるので天然石ではない。修理が容易な素材だろう。
観光地は観光名所を多く持つに越したことはないのだから、岬の先端に蛙を持つ裸の少年の像を置いてやろうという奇抜なアイデアは、ベネチア観光協会に知恵者がいたのだ。しかし、塩水に侵食されているであろうベネチアの地上にカエルが生息しているかは疑わしい。
また芸術的には、少年が目をつぶっており、補修し易さや汚れを防ぐための表面処理を優先した妥協が見えて残念だ。補修時に黒目の部分を数ミリ削るのは治具を作れば難しいことではないと思うのだが‥。9:28

大きな写真

露地。9:36


サンマルコ広場まで歩いて、ベネチア観光を終了した。

モナコホテルの船着場から水上タクシーで空港へ行く。11:01


動画

ベネチアには車が入れないので、タクシーも救急車も警察車両も舟だ。


ベネチア観光の終わり。


ベネチア空港で瓶詰めのオリーブとオリーブオイルを買った。品質が分からないので、安心であろう棚で一番高いものだった。
瓶詰めオリーブは飛行機の中で頭上棚に横にして入れたらビンから液が漏れ、ドバイに着いたときに臭いを撒き散らした。
日本まで持って帰れないので、4個ほどドバイのホテルで酒のつまみとして食べてから、捨てた。不味くはなかった。
オリーブオイルは、お土産用として何本かを買っていた。そのうちの一本は自宅用なので日本で開封したが、フタがキッチと閉まらないで、空回りする。お土産として、渡すかどうか悩んだ。

フタが閉まらないオリーブオイル。GALANTINO。
プロダクトシーケンシャルナンバーまで書いてあるのだが、基本的部分で駄目だった‥。



旅行前は、ベネチアでティラミスを食べる予定だったが、食べるのを忘れたのが心残りだ。

比較

1973年2月

アカデミア橋からの景色だ。

2011年7月15日 09:41

写真1(7/14 14:51)
写真2(7/15 09:41)
写真3(7/15 09:41)


風景は38年前のままだ。変わっていない。
今回との違いは、今回は観光客がウジャウジャと多かったのと、気候が暑いのだけが違っていた気がする。
今年の写真は朝9時41分。前回のは昼ごろの写真だろう。

当時、2日間歩き回ったが、そのときの記憶はほとんどない。
ベネチアの観光地はサンマルコ広場だけなんだと思った記憶がある。今回も同じ印象だ。

その当時の写真を何枚か持ってはいるが、撮った場所やシチュエーションの記憶はない。
ただ鐘楼に登ったことは覚えている。

前回来たときは、観光案内書など持ってはおらず、水の都ベニスとしか知らなかった。
パリを夜発の列車が朝着いたのが、「Venezia」と書いてある大きな駅だった。もしかしてここはベニスかもしれない。多分、そうだということで降りたら、やはり有名観光地のベニスだった。
そして、2日間島内を、私一人やここであった日本人と歩き回った。
また、ベニスの次はどこで列車を降りたらよいだろうかとサンタ・ルチア駅で時刻表をチェックし、乗る列車と次の宿泊地(ベオグラード)を決めたと思う。

そのとき泊まったここのユースホステルで、北欧の女子大生にユーゴスラビアを海側で回るんだったら途中まで一緒に行けるんだけどなんて言われたことと、ここで南京虫に襲われ体中が虫刺されの跡だらけになったのだが、もったいないので殺虫剤を買わず、ベットを移動しその後に持参のシーツに入り込んだ南京虫を丹念につぶしたのが思い出だ。


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