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スイス旅行

今回の旅行は2011年7月8日(金)成田出発、7月17日(日)帰。そのうち9日(土)から13日(火)朝までがスイスだ。

7月9日(土)
チューリッヒ国際空港着
チューリッヒ国際空港の鉄道駅から、スーツケースをチッキ(鉄道小荷物)でグリンデルワルト駅へ送る。荷物は明日朝にグリンデルワルト駅到着だそうだ。駅内で歯ブラシや着替えをリュックに入れ替える。
朝に頼むと夕方に着くらしいが、今は午後なので明朝着になってしまう。
空港の地下にある鉄道駅。

スイスの鉄道には改札が無い。車掌が車内で乗車券をチェックするシステムだ。関連記事(韓国)
身軽になったところで列車移動開始。


ベルン駅で下車し駅周辺を観光する。


ベルンは大した街ではない。政治だけの町なので小さいのだそうだ。

物価が高い。世界中で通貨安を競争している中で、スイスフランと日本円が買われているが、日本より買われ過ぎの印象を持つ。
世界は一物一価ではないが、中国元のほうが購買力があるので、安心な通貨と思えてしまう。私の価値観では、FX取引に向いていないのを確認した。
不思議だったのが、日本出発時に日本のマスコミで報道されている経済危機はギリシャ、ポルトガルなどのPIGSが中心だが、スイスやイタリアではイタリア経済のディフォルト危機が紙面の9割でPIGS危機は1割だった。日本でも今頃はイタリア経済危機で騒いでいるんだろうと思ったが、帰国後も騒いでいなかった。原発事故時の、日本のマスコミ報道に政府の情報隠蔽に協力する体質を感じたが、日本のマスコミは、事なかれ体質と言おうか、影響の大きい悪いことは報道したくないという体質も、あるのかもしれない。帰国後のテレビニュースでもギリシャの公務員は日本よりたかり体質や国家予算にたいする公務員給与比率がヒドイというような、本質からずれた報道が多い。

ベルン大聖堂の尖塔。工事中。

鼻やへそや耳に複数のピアス、腕に刺青をした男女の若者が通りにたむろしている。若者の失業率の高さが、自暴自棄にさせるのだろう。ベルンは住みやすい町ではない気がした。

スイスがないが欧州の失業率。(追加2014.04.22)


日本の世代別失業率推移(追加2014.04.22)

日本でも若者の失業率が高い。職が得られないから大学院や専門学校へ入る人もいるので実情はもっと高い数値だ。もうじき日本もベルンのようになるのか?
総務省統計局 (コピー表1  表2   表3



ベルン出発。



アルプスの岩は頁岩だ。薄く剥がれる。そのため形もまちまちな剥がした薄い石で屋根を葺いてある家が多い。その石の大きさ(面積)は、日本の瓦か瓦より少し大きい。
薄い板状の石の屋根への使い方は、日本で昔(奈良時代など)に寺院で使われていた平瓦みたいなものだろう。平瓦は屋根に約2枚半が重なって使われるのが普通(3枚の内約0.5枚分が表に出る)で、屋根が重くなり柱を太くしなければならないのと、風化や凍害が均一でないため廃れた。ここスイスでは、台風や地震がないのと周りから拾うだけなので、平瓦のような頁岩が使われているのだろう。それがどうした、と言われそうなどうでも良いことです。
しかし、カナダのバージェスで取れた頁岩から出た化石から、カンブリア紀の生物について書かれた「ワンダフルライフ」や「カンブリア紀の怪物たち」は、私が複数回読んだ本である。今回の旅行中に、道端にある割れた頁岩を何度か目視チェックしたが、化石らしきものはなかった。


グリンデルワルト着。高度1200メートル超えの場所なので涼しい。


アイガーの前にある町だ。

花粉が多いようで鼻が詰まり目が痒くなる。症状を軽くするため同じツアーの友人から風邪薬を、もらって飲んだ。私も持ってきているが薬は明日朝到着の荷物に入ってる。

夕食はイタリアンレストラン。メニューにセットメニューが無かった。ピザとスパゲティを食べたが、量が多く1/3残した。
夕食前の写真

夜、アイガー北壁を見上げると、小さな黄色い電灯がポツンと見える。

7月10日(日)

ユングフラウ近辺の地図。この地図は駅に置いてある。


グリンデルワルト駅で買った上地図の実線部に乗れるユングフラウ鉄道切符。160スイスフラン。スイス鉄道パスを持っているので値引後の価格だ。通常価格は210スイスフラン。95円/スイスフラン。


有効期間6日。実際には2日しか使わなかった。


クライネ・シャイデック駅で買ったユングフラウヨッホ駅までの往復切符。価格の55.5スイスフランはユングフラウ鉄道パスを持っているので50%引きの価格。
割引後で160+55.5=215.5スイスフラン≒20500円。
クライネ・シャイデック駅の隣のアイガーグレシャー駅からユングフラウヨッホ駅までの切符であることがまぎわらしいが、アイガーグレシャー駅までは上の切符で乗れるのだ。


グリンデルワルトからの登山列車をクライネ・シャイデック駅で乗換え、ユングフラウヨッホの展望台まで登る。
左手前はアイガーの氷河、山はアイガー。中央奥はメンヒの氷河。メンヒはアイガーの後ろになっていて見えない。アイガーグレッシャー駅近辺からの車内写真。

大きな写真


アイガーグレッシャー駅を出るとすぐに、列車はアイガーとメンヒの山中をくり貫いたトンネルを登って行く。トンネルの全長は約7.7kmで、トンネル内の北側にアイガーヴァント駅、南側にアイスメーア駅という駅があり、窓からの景色を見せるためにそれぞれ5分間停車する。ちなみに、南側の駅はメンヒやメンヒ山小屋へ行く登山客が降りる。

アイガーに作られた北側駅の窓から見た景色。


グリンデルワルトの町から夜にアイガー北壁を見上げると白熱電球の明かりが見えるのはアイガーヴァント駅ではなく、トンネル工事中に出た岩を捨てた穴に付けたドアだという。

ユングフラウヨッホ着。

ユングフラウヨッホの展望台(形からスフィンクスと呼ばれる)。
メンヒ山頂がガスの中チラリと見えるときがある。皆、その瞬間を写真に残す。
展望台は3,571メートルにある。富士山(3,776m)の9.4合目ぐらいの高さだだが、緯度は稚内辺りになるので、真夏でも氷河や雪が残る。


ここでもトイレはもちろん水洗で清潔だ。

展望台からの氷河。

全観光客の60%がアジア系で、全観光客の50%が団体の日本人シニア層。そして、アジア系シニア観光客の100%が日本人。つまり全観光客の半分が日本人シニアだ。アジア系若者観光客は100%韓国人。子連れのアジア系家族旅行者は100%中国人だった。
日中韓の3国で、誰がお金を持っているかを示している。

それにしても、旅行へ行くと韓国の若者の元気なことと英語力に、いつも感心する。
元気なのはバブル期前の我々団塊世代のように、世界一の製品を作っているという自負からの生まれる自信だろう。80年代には我々も、欧米の製品を見て「こんな粗悪なものを、販売して良いのか?」と呆れたものだった。当時は「ジャパンアズナンバー1」なんて本が出て、日米貿易不均衡交渉中にNTTの社長が「アメリカから買えるのは雑巾とバケツくらいだ」と言ってはばからないほど製品力が違っていた。今、韓国は日欧米の製品や価格を見て、同じように自分達の優位を確かめているのだろう。そして、韓国の若者に、感心する対象は英語力だけではないに違いない。
一人当たりGDPも、韓国人に5、6年で追いつかれるだろうが、最近の日本人は我々世代を含め、驚くほど不甲斐ないのだから仕方ない。現代日本の状況は、安倍以降の首相の呆けた顔や、菅首相の蕩(トロ)けた顔に象徴されている。
国内総生産順リスト (一人当り購買力平価:PPP)の世界順位は、IMF2010年ではシンガポール3位、香港7位、台湾20位、日本24位、韓国25位。世界銀行2009年ではシンガポール6位、香港9位、日本25位、韓国33位。CIA2010年ではシンガポール5位、香港9位、台湾25位、日本28位、韓国31位。
韓国を旅行すると、貧乏な顔つきの年寄りが多いのに気づくから、日韓の若者だけでPPPを比較したら、既に逆転しているかもしれない。


プラトーテラス。積もった雪の上を歩く。





アイスパレスと言われるところへ行くと氷河の中に作れられたトンネルがある。気温が氷点下のためか、夏用のウオーキングシューズでも、思ったほど床は滑らない。団体観光客はいない。旅行会社は、参加者のスリップ事故が心配なのだろう。

昼食は、スフィンクス1階にあるインド料理店。そういえばここの観光客の5%はインド人だ。我々以外のお客がいない店で食べていたら、団体のインド人が大勢来てたちまち混んだ。


ユングフラウヨッホ駅の登山列車。ラックアンドピニアン式である。

駅はトンネル内である。この鉄道は100年前に作られた。トンネル内は剥き出しの岩に100年間のホコリが分厚く積もっていた。

この後、列車でラウターブルネンまで行き、ロープウェイへ乗換えグラツチャイプまで行った。グラツチャルプは景色が良い場所ではない。しかし、グラツチャイプの先のミューレンで観光を終えて来た団体の日本人観光客は「上は景色が良かった」と説明してくれた。チョット残念である。


夕食は、ホテル近くの混んでいたレストランでチーズフォンデュ。美味くなかった。

7月11日(月)

朝、グリンデルワルト鉄道駅からスーツケースをチッキで今日の宿泊地のツエルマットへ送る。夕方18:00にツエルマット着。
荷物に付けるタグケース。今日のは赤だが、7月9日のタグは黄色だった。黄色のはホテルで捨ててしまった。

写真

チッキ。印刷面はA6サイズだ。ここだけがプリンターで印刷されているAサイズの紙を、四つ折りにして上のタグケースへ挟む。チッキはケースフィルムとの摩擦だけで止める。心配性の日本だと経費は一円も違わないのだからと四つ折りにした裏面にも印刷し、タグケースには紙が落ちない物理的仕掛けを取り入れるだろう。

「摩擦を上げるためにわざわざA4紙を折ってフォルダーへ入れているんだ。これでフォルダーから落ちる可能性は一億分の一もないよ」とスイス人は言うのだろう。「いたずらされたらどうするんだ」と日本人。「それは仕掛けがあろうと同じだ。犯罪の実行時間が2秒長くなる仕掛けが犯罪予防とお考えか?」とスイス人。なんていう議論を想像すると面白い。

チッキ(鉄道小荷物)は、私にとっては懐かしい。実は学生時代に国鉄の小荷物でアルバイトをしていたのだ。
日本では20年も前に無くなったサービスだが、ヨーロッパの鉄道ではまだ健在だ。

荷物を運ぶどころか預かるのも嫌がるように見えるJRでは無理なサービスだろう。
昨年、東京駅でコインロッカーに入らない大きな荷物を持った外国人が困っていたので、八重洲南口のJR東の事務所内に預かる場所があるのを教えたことがある。
JRは縦横とも数センチしかない日本語看板を、扉に貼りサービスをしていたが、最初に鍵が閉まっている扉の横のブザーを押して係員呼ばなければならなかった。日本人でも利用法が分からないシステムだった。そして対応の係員は英語が喋れなかった。サービス提供の正しい姿ではない。そして、JRは自分達が頭を使ったり体を使うのを厭うようになってしまっているのではないかと感じたものだ。独占企業は駄目になる例だ。JRの仕事はブルーカラーでホワイトカラーじゃないのを職員は忘れているんじゃないかな。事務所内をのぞき見たが、預かっている荷物は何もなかった。


手持ちリュックだけの手ぶらで観光出発。
今日は昨日と同じく下の登山列車でクライネ・シャイデック駅経由でアイガーグレッシャー駅まで行き、トレッキング後にツエルマットへ移動する。

なお、グリンデルワルト駅で買った切符は、何故かユングフラウヨッホ行き列車のアイガーグレッシャー駅(クライネ・シャイデック駅から一つ目)まで乗れる。上の地図の実線部。

登山列車は、写真を撮っていると、運転手はライトを点灯し挨拶の手を挙げる。そのサービスに感心する。アイガーグレッシャー駅近くをトレッキング中の写真。

乗客も、これから見る山頂の景色へ気分が高揚しているのか、トレッキング中の我々へ笑顔で手を振る。鉄道とトレッキング道の交差する部分には踏切はない。

アイガー



アイガー北壁のミラー写真を撮るのに丁度良い風に作られたため池。氷河が溶けた水を貯めたり、川から引っ張り揚げて、クライネ・シャイデック駅周辺で使う水だろう。

広角のカメラ(コンパクトデジカメ24mm)だが全体が写らない。

ツエルマットへ移動。

夕食に行った大通りの突き当たりにあるレストランは塩味が強く、食べれたものではなかった。多く残した。昨日といいスイスでの夕食は連続して外れだった。

4人分。
スイスでの食べ物は塩辛い味付けが多かったが、国に海からがないことと関係しているのかしらん。

7月12日(火)

ゴルナーグラードへ行く。
登山列車の時刻/料金表。スイス鉄道パスを持っていると半額になる。
19.5x0.5=9.75スイスフラン≒950円。

写真

メインは冬シーズンなのが分かる。

ゴルナーグラード行きの切符。窓口が混んでいたので切符購入は8:34だ。8:48発の列車に乗った。。立っている人もいた。
   


ゴルナーグラードに9:20着。

大きな写真 景勝地とはこのことだ。正に絶景だ。遠くの景色は青白く見えるものだが、昨夜の雨や高度のため、透明である。 日陰は青空を受け青い影を作る。


上図は横軸が波長。「A=タングステン光(電球光)」「B=直射日光」「C=晴天時の直射ではない昼光」の、波長ごとの光の比を表したもの。「B」の直射日光を受けた雪や雲は白く、「C」の影部分は波長の短い青側が多く、赤系が少なくなるので、青っぽくなる。
下は視細胞である錐体の感度。


一昨年に、ヒマラヤへトレッキングに行き、その素晴らしさを語っていた数ヶ月前に亡くなったAさんや一年前にネパールに行ったKさん(このとき、ネパール産エベレストビールをお土産にもらった)を思い出した。ヒマラヤは、この何倍、いや何十倍もの規模なのだろう。

9:42

大きな写真  

孤高のマッターホルン。標高3131mのゴルナーグラード展望台から。メインの登山ルートは右側の稜線という。
その登山ルートで、下写真の山頂付近にあるちょっと縦に黒っぽい筋に見えるのが、斜度が90度以上ある140mの絶壁で一番の難関だそうだ。9:25

展望台の近くに溜め池もあった。

圧巻の景色を呆然と見る。
青春時代に奥穂高に登ったことがあり「スケールが大きく、良い景色だったゾ」といままで自慢していたが、穂高山頂からの景色についての自慢はもう止めよう。

大きい写真

こんなところに、電車に乗りさえすれば連れてきてくれるのだ。もちろん大きくて清潔な水洗トイレがありゴミ箱もある。こじゃれたレストランや売店もある。
電車駅から展望台までは数階分の高度だがエレベータ(無料)もある。

ケーブルカーどころかリフトもなく、汚れた穴トイレさえも少なくて、悪臭が出てしまうので野外にある男女共用トイレに、長い待ち行列が出来ていた富士山との差を思いやった。トイレの中で発さられる音と出てきた人の顔を見比べるのは失礼になるからと顔を伏せて並んだものだ。そして、順番が来たときは、ベニヤのトイレ戸に触るのさえ危険な気がしたなあ。トイレに入ると囲み板の隙間から外が見えた。床は汚れているのでズボンを下げるときも、床にズボンが付かないように注意した。靴に穴が開いている人は気の毒なものだ。便器はなく、体重でゆがむ床板に細長い4角形(5角形?)の穴を開けただけだった。開いた穴から下をのぞくと、1メートル下の山肌を50センチぐらい掘ってあるところに堆積物があって、惨めになったものだ。手に異臭が付いても洗う水は無かった。そのくせ、お金を取っていたところもある。富士山のガイドさんに聞いたら、掘った穴が一杯になったら以前のトイレ場所と同じにならないように注意しながら、移設するのだという。
泊った山小屋には、雨水でお米を炊くので屋根につばを吐かないでという貼り紙があった。そして実際は利権者やお役所が仕事をしたくないからだろうに「次に来る観光客のためにゴミは持ち帰りましょうという」という文言で山にゴミ箱を置かない。
それでいて、世界遺産にして外国人観光客を呼びたいという。
観光客に迷惑を掛ける前にちゃんとした環境にしようとする動きもない。
パソコンで文書を作って口を動かすだけを自分の仕事としてしまいたいのは、お役人だけじゃなく日本全体なんだろうなあ。

展望台からのマッターホルンの反対側の景色。稜線道や氷河へ向かう道がある。

大きい写真
この近辺にはスキー用のリフトが何本も来ているが、この季節は運行していない。

1ユーロの攻防
展望台内のトイレ横の土産物店の店先に、回転式棚があった。そこに一枚1ユーロのゴルナーグラードの景色を撮った絵葉書が陳列してあった。日本人の初老旅行者が自分のカメラで、マッターホルンがきれいに写ってるその中の一枚を撮った。店主が飛んで来て英語で「これは私が、長年ベストショットを狙って撮った写真だ。時間と手間が掛かっている。写真を撮っては困る。あなたが買った後ならば何をしようと構わないが、これは私の店の物だ。」と大声で猛烈に抗議した。
店主に押し捲くられた気の弱い日本人観光客は、叱られたときの顔をしながら、その絵葉書を買った。店主はしてやったりの顔をした。品物を紙袋に入れて、絵葉書を渡すときには半ばバカにする口調と顔で「サンキュウ」と大声で言った。店主にしてみれば悪態をついて相手をやり込め、チョットの商売にもなったのだから良い気分だったのだろうが、買った人にとっては、自分の甘さが呼んだ失敗を思い出させる嫌な思い出だろう。
周りで見ていた我々も、その店主の狩猟民族的な主張や態度が不愉快で、その店で買う気が失せる出来事だった。

一駅分(Rotenboden駅まで)歩いて下る。ゆっくり歩いて約1時間だ。


電車軌道沿いの遊歩道にゴルナーグラード駅まで、ところどころにマンホールがあった。下水管が通っているのだろう。2つあるのは汚水と雨水かな?


登山電車。ここでも写真を撮っていたらちゃんとライトを点けてくれた。

我々が乗ってきた列車は朝早い便だったので、8割が日本人で多くの立っている乗客がいたが、一時間以上違うとガラガラになる。


写真


写真
この辺りも岩は頁岩だ。


満足してRotenboden駅着。

昨日のトレッキング時に会ったシニア女性は、この数年は毎夏一人旅でスイスの山々をトレッキングしている言っていたが、分かる気がする。

Rotenboden駅からは、列車でツエルマットへ降りる。

ツエルマットでホテルへ帰り休憩。

その後、ロートホルン・パラダイスへ行く。

    

ここは、ケーブルカーとロープウェイを3本乗り継いで行く。

ここも標高3000mだがゴルナーグラードを見てしまった後では感激がない。
後で「あそこも行ったよ」と言えるというだけの場所かな?

冬は良いスキー場なのだろう。



夕食は、美味い物を食べたかったので奮発しちょっと高いコース料理。ここも当りという程ではなかったが、時間が早かったので空いていた。そして量が多かった。メニューの後半は半分以上残し、デザートのケーキは断りコーヒーをもらった。



7月13日(水)


イタリアへ朝出発する。今回のスイスは大満足だった。
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私の携帯電話はソフトバンクなので、日本からは国内番号のまま(090-xxx‥)で、海外へ掛かる。
PCを持って行った。1、2泊目のグリンデルワルトのホテル以外はPCメールが通じた。
以下が、予定表。




泊ったホテル


実はスイスは2度目だ。しかし、前回は38年前の深夜に列車で通過しただけだ。
列車のコンポーネントで寝ていたら、列車が止まり(多分入国時)、黒い制服の入出国審査官が来てパスポートをどこかへ持って行った。しばらく経って、ビザ印を押したのを返しに来た。こんなことを覚えているのは、越境するのは初めだったので、制服姿の係員に「パスポート!」と提出を求められたが、盗まれるのではないかと思い、渡すのが怖かったという記憶があるからだ。周りの人たちが渡しているからと思い、渡した。スイスからイタリアへ入るときは2回目なので係員の姿は覚えていない。寝入ったらすぐ違う制服の係員にパスポートの提出を求められた記憶があるのでこれがイタリア入国だ。イタリア入国時にパスポートを返されたときの記憶はない。
最初のパスポート提出が、スイスへの入出国と判かったのは、突然5年くらい前にその出来事を思い出し、当時のパスポートは捨てていたが、何故か捨てずにいた78年版トーマスクック時刻表を調べたからだ。

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