この散策前にアヤソフィアと地下貯水場へ行った。その後両替の為に、銀行へ行ったら、日本円はしないという。
仕方ないので、両替屋を探し回るリスクを避け300メートル離れているが、昨日行ったグランバザール前の両替屋に行ってから、エジプシャンバザールへ行くこととした。
両替後、グランバザール方向(南)から入り海(北)側へ下り、エジプシャンバザールを目指す。
正面のモスクはグランバザールの隣にあるモスクである。最下段の地図で尖塔が一本だけのモスクだ。
市内は目印が多いので散策し易い。
グランドバザールから、エジプトバザールへ行くまでの商店街
ドネルケバブ屋。
羊ケバブは昨日(2/12)食べたので写真だけ。ここには鳥ケバブもあった。左の長いが羊、今切っているのが鳥。鳥のケバブは34年前には見なかった。
勝手にリンク(ドネル ケバブの作り方)。
そういえば、昨日のグランバザール中腹の出口にあるケバブ店では、閉店直前だった為かケチャップが切れていてマヨネーズしか掛けてくれなかった。上の動画を見て、思い出した。
ケチャップが掛かればもっと美味かっただろうに、残念だ。
雑貨店が多い。
エジプトバザールの南側入口付近。
雑貨は中国製が多い。
エジプシャン バザールの南側(山側)入口。
エジプトバザールに入る。L字型の建物だが、南北側の建物だけを通った。長さは100m程度か。
バザール内の商店
雑貨や食品、衣料、陶器、香辛料、小物など日用品を販売している店が多い。
庶民的なバザールだが、観光客が多いので、片言の日本語で声を掛けられる。
エジプシャンバザールの海(北)側出入口。
ここは、スパイス バザールともいうらしい。そう言えば、香辛料の店が多かった。この出入口はイエニ モスク(Yeni Cami) の前だ。
地名でいうとエミニョニュ。
ミシル チャルシシのバザール表示板。「C」の下のヒゲが付くのは「CH」の様だ。Sの下のヒゲは「SH」だ。
ヒゲが付くと発音的には「H」が増えるのだ。
多分、「CARSISI」は英語的表示だと、「CHARSHISI」で「チャルシシ」と読むのだろう。
なお、ミスル(MISR)はエジプト国の通称で、エジプトの正式名称は「ジュムフーリーヤ・ミスル・アル 、アラビーヤ」だ。
エジプトというのは、古代の国名だ。日本を「倭」と言ったり中国を「支那」というのと同じらしい。「チャルシシ」は市場の意味だろう。
イェニモスクとエジプシャンバザール(2月12日(前日)夕方)。
正面がイェニモスク。右側の3つのドームがあるレンガ作りの建物がエジプシャンバザール。
イェニ モスク(Yeni Cami)。
イェニ モスク(Yeni Cami) を横切ると、ガラタ橋に着く。
ガラタ橋(GALATA)
旧市街から行くと、橋は川中にある橋脚近くまで2層になっている。
上層は道路で、下層はレストラン街だ。橋脚には赤い国旗を模した広告塔が立てられていた。
1992年に火事で焼け落ちたのを再建した。
私がしているマフラーは、カイロのバザールで買ったものだ。
エミノニュ側のガラタ橋のたもとからアタチェルク橋方面を望む。
歩道が広い。イスタンブールの散策し易いイメージはこんなところからも生まれる。
対岸へ渡るのと、サバサンドを食べに、ガラタ橋下層に行ったら、すぐ「サバサンド。々」と声が掛かった。
誘われてレストランへ入る。開店直後らしく電気も点いていない。
鯖サンド 大きい写真
両方とも一口食べた後の写真だ。昨日は、食べたケバブの写真を撮り忘れたのに、今回も忘れる所だったが間に合った。
サバサンドは注文したら、3〜4分で出てきた。鯖は暖かく、骨は無かった。
当り前だが、サバの味がした。まあ、美味い部類だろう。日本でも売れるかもしれない。
しかし、バケットを半分にしたパンなのでデカイ。腹いっぱいになる。値段は3YTLぐらいだった。
パンを包んでいる紙は、わら半紙だ。
そういえば、トルコで食べたパンは全て美味かったなア。
上の大きい写真
サバサンドを食べたレストラン前からアタチュルク橋方向の景色。
動画
サバサンドを食べた後、ガラタ橋を渡り新市街(カラキョイ)方面へ行く。対岸にある高い塔は、新市街にあるガラタ塔。
橋の上層から釣り糸が垂れる。
ガラタ橋からのイエニ モスク(Yeni Cami)。橋の下層は左右に横断できる通路がある。上の写真は北側の通路だが、下の写真は南側の通路だ。
34年前(1973年)の旅行で撮った写真が間違いなくイェニモスクというのが確認できた。34年前にガラタ橋の上から撮った写真らしい。
1973年と2007、2008年の写真の比較
1973年に散歩した市場はエジプシャンバザールだったのも判明した。当時はイスタンブールの知識などまるで無く、空港からのリムジンバスを降りた鉄道駅の観光案内所でカラキョイ側のホテルを紹介してもらい、そのときもらった地図を手に、気ままにガラタ橋辺りをフラフラしただけだ。
1973年の旅行記へ
昔の写真と較べると、焼落ちる前のガラタ橋は、多少ボスフォラス海峡側(上写真で左)にあったのだ。モスクの塔の辺りが橋だった。
下層の終点風景。魚をサビキで釣っている。長さ5〜8センチの魚が一度に何匹も釣れていた。
釣り糸についているのは、餌ではない。イワシだ。
階段で上層の道路へ上がる。
ボスフォラス海峡方向の景色
釣り人
多くの釣り人のバケツは、魚がいっぱいだった。鰯と鯵だ。
けっこう大きな船も、ガラタ橋を通る。
ガラタ橋を走るトラムと旧市街側の景色。
トラムは道の真ん中を走る。ガラタ橋は幅が広く橋であることを忘れさせる。日本橋の2倍以上はあるゾ。
新市街のカラキョイ(Karakoy)に着いた。
ベンチで一休みした。
旧市街方向へトラムが走っていたので乗ることにする。
トラムに乗車へ続く
散策エリア
ガイドブックは持っていないので、ホテルで購入の地図だけで歩いた。ガラタ橋にトラムが通っていない。橋が焼け落ちる前の地図かな?
トラムに乗車ヘ続く
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