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九州縦断旅行2012.08.30(木)〜09.02(日)
九州新幹線に乗るのと、途中のまだ行っていない観光地を回るのが目的だ。
8月30,31日(ここ) 9月1日へ 9月2日へ
小田原
2012.08.30(木)
夕方に家を出発。
夜に鹿児島に着く。
飛行機が鹿児島へ近づいたときに、新燃岳の噴火だろうか機内で硫黄の臭いがした。
リムジンバスで鹿児島市内へ向かう。50分。1200円。
鹿児島中央駅西口にあるホテルアービックの部屋から。観覧車は「アミュラン」というのだそうだ。21:05
カメラの設定を間違えて、こんなボケた写真になった。右側は九州新幹線鹿児島中央駅。
鹿児島は2度目だ。前回は列車乗換え時間にフェリーで桜島を往復した。今回、鹿児島で観光したいのは、城山から桜島を見ることだ。
2012.08.31(金)
前日の天気予報では台風のため90%が雨だったのだが、ホテル部屋から桜島が真正面に見えた。観覧車の真後ろなのが残念。頂上付近は雲が掛かっている。7:49
Y氏と合流し昨夜行けなかった天文館へ市電(路面電車)で往復した。市電の運賃は160円均一。9:29
天文館は小さい町だった。
帰りの電車内で運転手から一日乗車券を買う。料金は、ワンマンカーの運転手へ手渡す。600円を運賃箱へ入れようとしたら「オオオーット」と運転手が声と手を出して阻止した。
この券は市電やビューバス、市営路線バスに乗れる。
三つ折の切符だ。
大きさ7.5x28.9cm。
鹿児島中央駅前。10:10
市電の線路に芝が植えてありきれいだ。
駅前広場
シティービューバスで、桜島を見に城山へ行く予定だったがタイミングが悪く乗り遅れた。
35分発のシティービューバスで城山へ。
桜島頂上も見えた。ここでカメラの設定を直した。10:57
城山からの桜島(動画)
展望台から遊歩道を歩いて、鶴丸城跡へ向かう。NHKの大河ドラマ「篤姫」の舞台はこんなところだったのかあ、などと思う。こんなところにも、メガネを掛けた子供を連れた中国人家族旅行者が2組いた。
遊歩道を降りたところの鶴丸城お堀横に「薩摩義士碑」があった。11:15
薩摩義士というのは、江戸時代の終わりごろ、幕府の命により薩摩藩は多額の借金をして、濃尾平野の木曽川、長良川、揖斐川の治水工事を行ったが難工事で問題が多発した。そのとき切腹や病死した人たちらしい。一番上の平田正輔は工事を推進した家老で工事完成後に病死(切腹らしい)した。
鶴丸城はお堀しか残っていない。中は図書館やら公民館になっていた。11:18
鶴丸城は背後に山があり、防御には向かない城だ。歴代城主は攻める武将だったのだろう。そういえば鹿児島市内で敵と戦ったのは、秀吉の時は降伏したから、西南の役が最初で最後だったかもしれないなあ。
市電で天文館へ行って昼食。
地魚刺身付き地鶏定食。美味かった。
その後、西郷隆盛のお墓がある、南州公園へ。
路面電車で鹿児島駅へ。
鹿児島駅。市電もJRもここが終点で折り返し運転となる。12:37
市電駅奥の薄茶の建物がJR鹿児島駅。鹿児島中央駅と比べると格段のローカル駅だ。
駅から南州公園まで、15分弱歩く。暑い。12:51
公園には西郷隆盛の墓を中央にして、桐野利秋などの墓がある。
南州公園からの桜島
鹿児島観光はこれで終わることにした。
鹿児島は、桜島と明治維新の立役者が観光目玉の町だ。
そこかしこに、だれそれが誕生した地だなんていう碑があった。
ほとんど同時に、この小さな半径200メートルほどの地域から維新を動かした政治家が多く誕生していることから、政治家は、やる気があれば人並みの才能で十分な職業なのが分かる。
鹿児島中央駅へ行き、切符を買う。
1時半にY氏と別れ、九州新幹線で熊本へ。
Y氏は体調不良だったのに、ありがとう。
鹿児島中央駅。新幹線ホーム。13:47
10:00発の新幹線「さくら」に乗った。村落的な田舎町にも駅があり止まる。
100万都市の川崎を素通りしている東海道新幹線も「武蔵小杉」に止めるべきだ何て思う。この辺りの村落より1000倍の乗降客があるだろう。
しかし横須賀線と東海道線が平行して走っていた30年以上前に、東海道線は川崎駅に普通列車も止まらなかった。JRは川崎市を軽視する伝統があるからなあ。
切符。日本は運賃が高い。
59分で熊本だ。
熊本駅着。15:04
新幹線側の熊本駅西口から熊本駅の玄関である東口へ渡る自由通路の地下道は、細くそして折れ曲がっていて、JRが適当に作ったような印象だ。まあ人が多く通る通路ではないようなのでどうでもよいことではあるが‥。
京急金沢文庫駅の東口と西口をつなぐ自由通路のほうが幅広で立派で人通りが多いなんて思った。
熊本の路面電車。運賃150円均一。15:04
ここの路面電車は車椅子は難しい、幅が狭い駅が多いという印象だ。
辛島町の三井ガーデンホテルへ荷物を置いて観光へ。
熊本城前の清正像。顔が濃すぎるのでは?本人は49歳で死んだのだが、この像は60代後半に見える。年を取りすぎだ。16:27
年寄りの作者に制作を依頼するからだろうか?また、烏帽子と鎧、指揮棒を金ピカにすればよいのにと思った。せめて烏帽子だけでもかな。
数年前に来ているので、熊本市内で観光したかったのは、ここの清正像だけだ。
ウイキペディアからの清正。右側は本人を写生した絵を江戸時代に写生したものという。糖尿病の人ような顔つきだ。
下は本人を写生したものという。
清正像近くからの熊本城の櫓。今回は城内へ入らず。16:28
この後、市内をぶらついた。
夕食は、鹿児島で食べればよかったと思いながら、熊本バスターミナル近くで「さつま揚げ定食」。
2012.09.01へ続く
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