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ベトナムの山岳民族地帯観光2011.03.11(金)〜03.17(木)
2011.03.11(金)
11:30成田発のVNP955便でハノイへ。
ハノイ空港を降りたら、他の乗客が「東北で巨大地震が起きたらしい」と教えてくれた。
ホテルに着いて、PCのYAHOOニュースやテレビのCNNでM8.9(帰国後9.0に変更された)という地震の大きさに驚く。関東大震災はM7.9だ。
心配し家へメールを入れる。落ち着いたところで夕食へ。
10000円を両替。10万ドンが400円だったので250万ドンになった。旅行中これで足りた。というより使えないで困った。
前回のハノイ訪問でも行った「チャー・カー・ラ・ボン」へ。お客の過半が観光客の店だ。
煮えたぎった油と揚げた雷魚の鍋と、種類の違う野菜の入ったお皿2枚、麺のお皿、ピーナッツのお皿、調味つゆが出てくる。
下は野菜皿の一枚分を鍋に入れたところ。
セリ
黄色いのは魚フライ。
数年前の訪問時に食べた魚は微かに腐敗臭のようなものがあったが、今回は無臭だった。
数年前に食べたときは、追加された皿の魚も臭っていたので、雷魚の臭いとはこんなものなんだと思ったのだが、今回は「やっぱり、前回食べたのは腐りかけだったのかなあ。でも、誰も腹を下さなかったので違うのかなあ」何んて食べながら考えた。でも、多分、前回は少し腐っていたに違いない。冷蔵庫を使わない国だからなあ。
野菜や魚は、前回と同様に追加のお皿が一枚ずつ出てきた。計2枚ずつ。
ハノイは寒かった。気温は私が住んでいる横浜と変わらない。
皆さん厚い長袖は当たり前で、革ジャンやコートを着ていた。
店員に聞いた食べ方:お椀へ入れた麺の上へ、鍋の魚肉と野菜、調味つゆを加える。また、お好みでピーナッツを加える。
こんな感じで食べる。美味いという料理ではない。ハノイ名物なので食べる料理だ。
しかし、今回は腐敗臭がなかったので、気持ちよく食べた。
隣テーブルの西欧人は、鍋に麺と野菜を入れてごちゃまぜの山を作って食べていた。食べ方をお店の人に聞けばよいのに‥。
レストラン外観。Cha Ca La Vong.。
腹一杯とはならなかったので、近くのパン屋で砂糖とガーリックで味付けしてある6000ドンのフランスパンを買い、太りたくないので2人で一つを食べた。
なお、ベトナムのフランスパンは皮が硬くない。
深夜にメールが入り皆の無事を確認する。良かった。
また、USTREAMでNHKのLIVE中継を行っていたのを見る。大地震と津波の大きさに驚く。
泊ったATSホテル。良いホテルではない。しかし、今回の17万円台のツアーならこんなもんだろう。
泊っていた名古屋からの女の子がホテルのレストランの朝食が不味いので逃げて、近くの店でフォーを食べたといっていた。
2011.03.12(土)
ハロン湾観光へ。
途中の景色(動画)
片道の移動時間が車で3.5時間。船に乗っての観光3.5時間。帰りの移動3.5時間だった。
ここの船での観光は大産業だ。
船着場に停まっていいる船に、お客を次々と入れ、満席になったら出発する。
クルーズ券。
40000ドンなら160円だ。上の券の他に小さい券が一枚あった。多分、小さい券が食事券だったのだろう。
船に大きな違いはない。
我々が乗ったのは、乗客が日本人だけの船だ。航海中はみやげ物売りが続々と来てうるさい。
ハロン湾は海の桂林だ。
同じ船に、仙台から来た人がいた。仙台空港に置いていた車が流されたと言っていた。
大きい写真
シーフードの昼食。美味いとは思わなかったが、それなりだ。
写真はアサリのような貝だが、表面がツルツルしているのでハマグリ系なのだろう。熱を加えてあっても口が開いていない貝が1/3あり、残した。鮮度も疑問詞が付くかもしれない。
昼食が終わると、ティエンクン鍾乳洞がある島の船着場に着く。
降りる時に自分たちの船を確認する必要がある。船に乗る船着場は降りた場所と違う。そこには同じような船がいっぱい停まっている。
観光客に中国人が多いためなのだろう、色とりどりなダイオードで鍾乳石を照らす。
ベトナムへの観光客は、中国人、フランス人、韓国人、日本人の順で多いのだそうだ。
洞窟の船着場は、場所の取り合いだった。船がぶつかりながら場所取りを繰り広げる。
鍾乳洞からは、まっすぐ観光船の船着場へ。
港から再び4時間弱かけて車でハノイへ帰る。
夕食を食べたレストラン。レ・トンキン。セットメニュー20$。
料理がうまくない。ウェイターの態度も悪い。
メニューにあった生春巻きが出てこなかったのにセットメニューが終わりだと言うので「生春巻きが出て来なかった」と文句を言ったら、しばらくして運んできた。しかし、その生春巻きは、不愉快なほど不味かった。一口食べて残した。冗談でなく残飯でも入れられたのかと思った。
また、うまくない食事の途中、トイレに行こうウェイターの横を通ったら笑顔で「OK」なんて言ってきた。顔をしかめて無視した。
トイレがきれいで大きかったこと以外は、良いところがない。
ベトナムのほとんど全てのレストランは、値段の高低にかかわらず料理が美味くサービス態度も良い。
しかし、ここレ・トンキンは駄目だった。
21:10出発の寝台列車でラオカイへ。
乗った13号車。
ラオカイまでの切符。
裏面
2011年03月12日21:10発、13号車、4人部屋の車両だ。level1はベットは下。ちなみに2は上。
berthは席NO2で車両の2番目という意味。我々は13号車の一番先頭の部屋で1〜4席だった。席のNO1は上のベットになりlevelは2になる。
各部屋の入口横に席NOがの案内表示されている。ハノイから出る列車は先頭が一号車。ちなみに部屋のドアは引き戸。
出発ホームは、ハノイ駅の列車案内板に表示される。
値段は旅行社経由の手配なので0になっている。
ハノイ出発後に列車トイレに行った。便器や床が、お尻を洗う手動シャワーで水びたしになっており、汚れたちぎれたトイペも床に散らばっていた。
ちなみに、各車両には清掃員が、トイレ横の細長い個室に駐在している。しかし、惨状を見ると気の毒になってしまう。
「駅での停車中は、トイレ使用禁止」の表示があるのにフランス人達がハノイ駅に停まっていた列車のトイレに行っているらしいのを「マナーが悪いなあ」と思いながら見ていたのだが、ここまでヒドイとは思わなかった。
ハノイ駅構内のレール上にはウン○が落ちていたが、彼らのだったのだ。
列車ホームへ行くためにレール群を渡る通路(道)が駅の北側と南側にあり、その間に列車が停まる。
ハノイ駅ホーム内にあるトイレは見ないほうが良い。インドでもこんな汚いトイレを見たことがない。
2011.03.13(日)
早朝5:10分にラオカイ(LAO CAI)駅へ到着。
駅前レストランのニャット・リー(NHAT LINH)で、朝食をとりながらマーケットの開く時間まで待つ。
朝食は卵サンドとベトナムコーヒー。
夜行列車でラオカイへ来る客にトイレと食事を提供する店だ。きれいな店ではないが、混雑していた。
ラオカイ駅
なお、15日の午後は、このレストラン上のホテルで、列車出発まで休んだ。
このホテルは湯船が使えなかった(全室に湯船はあるがシャワーしか使えない)。
ガイドさんは、もっと良いホテルを紹介すると言ったが、4〜5時間のことであるし移動が面倒だったのだ。
今回のツアーガイドの「シン」さん。28歳。スルーガイドでハノイ空港の出迎えから最終日まで同行した。
気が利いて素晴らしいガイドだった。
ベトナムがアメリカとの戦争勝ったのは、すごいことなんだよと言っても、ピンとこないようだったな。
荷物はレストランへ預けたまま車で2時間かけてバックハー村の花モン族サンデーマーケットへ。
バックハーの学校。ベトナムは50年前の日本と同じく、田舎でも学校だけは立派だ。
マーケットが始まる前だったので近所を見物。
バックハー村に生えていたクジャクヤシ。
この葉で屋根を葺いたりする
村の風景
牛に乗っている子供に着物を着せれば横山大観の絵で見たことがある。
売られる鶏。ベトナムの鶏肉が固いのはこいつを食べているためだ。
村中にプラスティック系のゴミが多い。プラスティックゴミを拾うのが誰も自分たちの仕事と思っていないのだろう。
売られるために運ばれてきた豚。売られるのは子豚が多い。鶏の豚も重さで取引されていた。
バックハー村のマーケット風景。ここは花モン族のマーケットだ。
写真1(容器はお酒)、写真2
笛吹き(動画)
お寺(動画)
お寺の祭りで綱引き(動画)
綱引き2(動画)
花モン族の女性。
フランス人観光客は無遠慮に彼らへカメラを向ける。我々日本人はチョット遠慮がちに向ける。
普段からこのような服を着ている。彼女ら(花モン、黒モン、赤モンの山岳民族)は背が低く、皆さん140センチ代だ。
観光資源だから写真を撮らせなさいとのお達しが共産党から彼らへ出ているに違いない。
バックハー村で食べた昼食。
昼食を食べてから、3時間かけてラオカイ(LaoCai)を経由しホテルのあるサパ(SAPA)へ車移動。
泊ったホテル。バンブー・サパホテル。電力事情が悪いのでエレベータは無い。
トイレには,、昨夜の列車内で見たのと同じお尻用の手動シャワーがあったので、初めて使った。そのシャワーの取手に茶色いシミがあった。
恐々トイペで拭いたが落ちない。誰かがタバコの火を落としたのだろうが、気になる汚れであった。
夕食を食べたレストラン。サパ・ロータス。
この日は8ドル定食を、翌日は13ドルの鍋を食べる。美味しい店だ。
翌日はトレッキングなので、ホテル前の店でフットマッサージをする。10万ドン。
2011.03.14(月)
ホテル窓からの風景
サパは標高1600メートルだ。WIKI
大きい写真
この辺りの観光客の95%以上はフランス人だ。路上ので籠を背負ったみやげ物売りでもフランス語を話す。
午前中はホテルから30分の黒ザオ族のタバン村へ行ってトレッキングをする。
村の入口に竹ざおゲートの料金所があり観光客は40000ドン(160円)/人の料金を支払う。
トレッキングの出発地点で1万ドン(40円)の竹ステッキを売っていた。私へステッキを売った少年と。
この村には同じ時刻に観光を始めた大勢のフランス人がいる。数百人はいただろう。我々以外の、見渡す限りの観光客はフランス人だ。
ここの小学校を観光。
無遠慮な太ったフランス人観光客が、学校に入り込み痩せて小さい子供達をカメラでパチパチ撮る姿にチョット不愉快になる。
まあ、私も太って同じ事をしているが‥。
フランス人観光客の児童に対する態度や言葉つきから、感じられるのは「汚い、貧しい、小さい」なんていう差別だった。
まあ、それを160円の入場料で買ってもらうのが、タバン村なんだろうが‥。
ベトナム人ガイドのシンさんは「フランス人は、過去にベトナムの富を剥ぎ取ったことで、豊かな生活をしている。フランス人観光客は過去の支配地区だからベトナムに多く来る。フランス人はベトナム人を幼児になると働かせ、自分達のために豪華な屋敷は作ったが、村民の家や学校は作らなかった」と言った。
大きい写真1、写真2
観光客がいる間は、授業は休みとなり観光客の相手をする。自分たちも観光資源なのを知っているのだ。
フランス人の金使いは吝い。この村で、お金を使った人を見なかった。フランス人はお金に渋く、礼儀をしらないランキングで上位の常連だ。(このページ最下部に、2008年expediaの調査結果)
M先輩は、この数キロ先にあるみやげ物屋で無料のお茶を飲んだとき、お金はいらないという女の子に「それじゃ申し訳ない」と、ガイドのシンさんに頼んで1ドルを無理やり押し付けた。
大きい写真
大きい写真 牛2頭が見ているのは?
吊り橋を渡る。
大きい写真
村の棚田
棚田
ここは観光村だ。村までの道路を舗装し、入村料を取って、景色や生活を見せ、お土産を売っている。しかし、多く落ちているプラスティック系のゴミが気になった。ゴミを拾ってきれいな農村風景にすれば、もっとよい観光地になる。
約2時間のトレッキング後、SAPAへ帰り昼食。
中央は竹に詰めて炊いたご飯と砕いたピーナッツと塩のふりかけ。ご飯には竹の甘皮が付いている。
昼食
昼食のレストラン。カン・タン。
午後は赤ザオ族のタフィン村へ。タフィン村は入場料2万ドン/人(80円/人)。
村の入口にある料金所。インフレが激しいためか看板には料金記載はなく、貼られた紙に書いてある。
この村への途中にフランス人の作った豪華な屋敷の廃屋があった。
車が着いたとたん、写真のおばあさん達に取り囲まれた。
タバン村は、フランス人観光客を相手にしているので、我々日本人を取り囲まなかったが、タフィン村に着いたときに、運悪く周りに観光客は誰もいず、我々だけだった。
おばあさんを引き連れて村を観光する。
右のおばあさんの家へ招き入れられた。みやげものを買ったので上機嫌である。結婚している女性はおでこを剃る。
右のおばあさんから買った刺繍の民芸品(みやげ物:14万ドン)。
携帯電話ケース(4万ドン:160円)と小型バッグ(10万ドン:400円)
大きい写真 スキャナー画像
大きい写真
黒モン族の女性が刺繍をしていた。
若者や年寄りの男は畑で働き、お年寄りの女性は刺繍をした民芸品を売る。
歩き疲れた。
サパのレストラン、ロイヤルで食べた夕食の鍋。美味い。
最後にインスタントのチキンラーメンを入れる。
3年前にカンボジア旅行の帰りに寄ったホーチミンで食べた鍋も最後はインスタントのチキンラーメンだったことを思い出した。
ホテルまでの途中にあった店でボディーマッサージをしてもらう。12万ドン。マッサージを始めようとしたところでフランス人女性の団体が来た。店を移ってくれというので、昨日行ったホテル前の店まで50メートル移動した。
2011.03.15(火)
コックリの火曜市。
花モン族のマーケット(市)だ。周辺に何もない小さな広場に火曜だけ市が立つ。建設中のダムの近くだ。
コックリというのは村の名前だろうが、近くに家はない。
サパからラオカイを経由して向かう。ラオカイから車で1時間30分。
途中
マーケット
帽子を買った。シンさんと。
野菜売り。パイナップルなどが小さい。
日本へ帰ってこの写真を見ると、ここの被爆の心配がない野菜がうらやましい。ネギやキャベツをお土産に買ってくるんだった。
ガソリン販売。ハノイでは1リットル80円だが、ここでは720ccで82円だ。ワインのビンで売っている。
彼は飲酒をしているのではない。オートバイへガソリンを入れようとしているのだ。
ガソリン販売の女の人は、細いホースでポリタンクからビンへ入れ替えている。
小雨が降っていたので、マーケット見物中に泥で靴が汚れてしまった。
途中の景色は風光明媚なところが多い。
景色(動画)
ラオカイへ戻る。
ラオカイ市街から国境へ向かう(動画)
ラオカイの中国国境。向こうは中国の雲南省だ。
朝には中国側に通勤するベトナム人が多いそうだ。
上写真の右側にある鉄道橋。
ラオカイ国境での記念写真。寒いので重ね着をしている。
国境(動画)
これから帰国までの2日間は車中2連泊になる、列車出発まで4時間程度、駅前ホテルで休む。
ホテルの食堂で食事(フランスパンにバターとジャム)をしていたら、私の泥靴を見つけた靴磨きが来た。靴を磨いてもらう。3万ドン。汚れた靴を気にしていたときなので、ありがたく、価格交渉はしなかった。
レストランで飲んだラオカイビールと紅火ビール(中国産)。紅火ビールは不味く一口で止めた。ラオカイビールも美味くはない。
昼食
列車の寝台列車切符。
12号車(1部屋4席車両)、10席(後ろから3部屋)のLevel1の下ベットだ。
疲れていたのかぐっすり寝れた。
ライカイ駅で撮ったSP2の料金表。ハノイまで38万ドン。1520円だ(安ーう)。
SP2は全車両が1部屋2段4ベットの寝台列車だ。
ラオカイ駅で入場を待つ。改札口上にはベルリン、モスクワ、ハノイ、北京、パリ、ロンドンなどの各国の時刻が表示されている。残念ながら東京は無い。
フランス人は、マナーが悪い。この時も列に横入りする輩がいたし、出発後も間違えて我々の列車部屋に入ってきても謝らない。
サルコジ的な謙虚さがない国民性なのだろう。
フランス人が行儀が良い旅行者ランキングで、日本人の半分以下の得点で、中国人やインド人より行儀が悪いのは分かるが、ロシア人より上位(悪くない)なのが不思議である。(このページ最下部にexpediaランキング)
2011.03.16(水)
寝台列車の中。
降りる前にパチリ。上段。
駅からATSホテルへ。
この日も夜行飛行機で、連日の車(機)中泊なので、ホテルは朝から18:00まで使えた。
インターネットが利用できたのは1Fロビーだけだったのが残念だ。部屋で利用できなかったのは設備故障という。
荷物を置いて、一人でハノイ市内観光に向かった。
前回(3年前)の旅行では工事中で、観光できなかったホーチミン廟。10月から3月は7:30-10:30間のみの公開だ。
今回は観光できた。個人の観光客は、入場口で荷物を預け、廟の入口でカメラを預ける。それぞれ荷札をくれる。
廟見物が終わるとカメラは廟を出た写真左の建物に移されているので荷札と引き換える。荷物も出口にある窓口に移っている。
ちょっと不思議な気がする。
ホーチミン廟入場券購入時のパンフ。
ホーチミン廟入口は廟の建物から遠いところにある。
隣接のホーチミン博物館
入場券と廟隣の旧ホーチミン住居公園のパンフレット
パンフレットにはハングル文字はあるが日本語は無い。日本の昔の栄華を知る者は寂しく感じる。
革命博物館まで乗ったバイクタクシー。
タクシーを待っていたら、運ちゃんがバイクに乗らないかと声を掛けてきた。「雨が降っていて、濡れるので乗らない。」と言ったらカッパを出してきた。
しかし、私は頭が大きいのでヘルメットを深く被れず、乗車中に落としたりした。
運ちゃんの持っているのが私が着ていたカッパで、足元にあるのがヘルメット。
ベトナム革命博物館は昼休み中で閉まっていた。11:40
ベトナムは朝が早い。
入口横のレストランで昼食をとる。コーヒー付7000ドン。
ホテルは革命博物館の近くなので、ホテルへ帰りその後、世界遺産のタンロン遺跡観光へ行く。
カメラをホテルの部屋に置きっぱなしで出たので写真はなし。
タンロン遺跡は、たいした所ではない。そして遺跡が点在していて広い。外人観光客は少ない。入場無料。国旗掲揚台だけは入場料1ドルの軍事歴史博物館内にある。
北門は大通りに面している小さく古く汚い門だ。
敬天殿跡は、建物の中にあり、ガラスで覆われていた。
端門は、正門だけあって大きい。上まで登れる。タンロン遺跡の入口横にある。
軍事歴史博物館では、サイゴン(ホーチミン)の大統領府に一番で飛び込んだ戦車が展示されていた。横にある写真を見ると2台がほとんど同時に門を突き破っているが、展示物の戦車の方が少し早かったのだ。ここは前回の訪問で見れなかったので行けてよかった。「壊れた兵器なら幾らでもあるぜ」と表現しているオブジェがあった。
国旗掲揚台に上った。上の展望台までの螺旋階段を登ったら、反対側にもう一つの螺旋階段がある。下りの階段だろうと思い下りたら、2階付近で階段が塞がれており行き止まりになっていた。再度、上まで登ってから降りたが疲れた。
VNP954便で帰国。機中泊。
2011.03.17(木)
7:00成田着
日程表
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感想、その他
東日本大震災と重なった旅行だった。
USTREAMやニコニコ動画でNHKをLIVE中継をしていており、PCを持って行ったので被害情報はベトナムでも入った。
原発事故を、NHKは現状がいかに安心かを、CNNは現状はいかに心配かを報道していた。
視聴者は自己責任で判断したり行動するのだから、CNNのほうが正しい報道姿勢だと思う。
世界一電気料金が高い日本での、原発安全の神話が崩れたのは、輸出立国としての経済的ダメージが大きいと思った。
また、東電の利用者は、世界一サポートや給電体制が良いので、日本より生活水準が高いアメリカやスイスよりも料金が高い、世界最高といわれる電気料金を払っていたのだ。それが崩れるならば、世界標準の電気料金へ下げるのが正しい料金体系だろうとも思った。
韓国の電力記事にあった電力料金。
海外のニュースは、数週間したら水素爆発した理由を燃料棒の損傷と報道していたが、国内では放射線による水分子などの分解などと馬鹿げた報道していた。4月に入っても損傷を認めていない。おかしなことだ。その間は保安院や政府、東電はウソを言って、マスコミや野党はそのウソに同調したのだ。大前研一は3月下旬の時点で燃料棒の被覆のジルコニウムは熱で酸化したから(水から酸素を奪って水素が発生)と言っていた。
日本のニュースで、事故原発からの風向きを報道しないのもおかしいと思った。
視聴者が一番知りたいのは、晴れるや気温ではなくて、現在や数時間後に放射能雲が来る否かだ。それによって視聴者は洗濯物を室内に干したり、外出に帽子をかぶったりマスクをしたりするのだ。CNNでもNBCでもフランス語放送でも中国電視台放送(CCTV)でも、一時間に一回以上風向き報道を流していた。視聴者にとってイチローがヒットを打ったことをより重要な情報だ。しかし、現実の日本のテレビ局は、笑顔でイチローのヒットを報道するのを仕事とした。
フランスのセシウム137拡散シュミレーション(3/22バージョン) 現在の拡散予報(ドイツ気象庁)
上記のような拡散予報を、政府は予測の情報公開は、実際とは違うので国民に混乱を招くからしないという。幼稚園児だって天気予報は実際の天気と違うのを知っているのに、おかしな発言だ。上のフランスのシュミレーションは日本の気象庁から提供された情報を基にしているので正しいと思われる。3/23に金町浄水場で異常値が出たのは、22日に雨だった首都圏に、福島第一原発で放射能に汚染された大気が通ったからなのだ。飯館村の高濃度放射線値も何度も福島第一原発で放射能に汚染された大気が通ったからだ。
下図はフランスが港区で測った大気中の放射性元素。1目盛りが10時間なので3月15日11時20分が最大濃度だったことが分かる。
この時に首都圏の人は、3百ベクレル/立方メートルの大気を吸っていたのだ。
図にはないが、原発から飛散したセシウム134はセシウム137の同量といわれるので実際には350ベクレル/立方メートルだったのだろう。
上図がある、フランスの報告書 そのコピー 東京の雲
アメリカも自国民向けに、3月中にチャンと放射線量を公開している。日本政府は機械が壊れたと言って公開していない。
下は2011年12月にようやく政府から発表された降下物数値の東京(新宿)分抜粋。
今(12月)の事故原発から出る放射能は3月の100万分の一しか出ておらず、5月にも1万分の一以下と言われていたのに、なぜか、下図は4ヶ月の合計を月当たりにしている。
3月にはほぼこの4倍だったのだろうし、ほとんどが3月15日だったのだろう。
なお、単位はBq/u・月でもある。3月15日に限るならば、下記を4倍した数値の8〜9割Bq/u・日だ。
一番分かりやすいのは、地上に落ちた降下物の累計を時系列に示すことだろう。
また、ウランが分裂するときにできるセシウムやヨウ素の相棒であるストロンチウムの量は12月になっても未だ発表されていない。
東大敷地内の放射線量
また、このときの政府の仕事は国民へ「今日は放射能が降るから学校は休みなさい」とか「なるべく外出は控えなさい」と指示することだ。
しかし現実には菅首相や枝野官房長官「危険は無い」といい続けるのを仕事とした。何もしないより国民へ害を与えた。子供へのヨウ素剤配布もしなかった。ヨウ素剤配布は今回しなくて何時するんだろう。後日、副作用の心配を言い訳としていたが、チェルノブイリ事故時にポーランド政府は1000万人の子供へ投与したが副作用は一件も報告されていない。
そしてフランス政府は、自国民に対し、ちゃんとした仕事をしていたようだ。
(2011年3月15日14時12分 読売新聞)
仏大使館…自国民に外出自粛の呼びかけ
. 福島原発
在日フランス大使館は15日午前、福島第一原発での一連の事故を受け、「10時間ほどで弱い放射線が東京に到達する恐れがある」として、都内に滞在する自国民に外出を控えるよう勧告、さらに、「パニックに陥らず、家の窓を閉じよう」と呼び掛けた。
同大使館はこれに先立ち、東日本で強い余震発生の恐れがあるとして、直ちに東京を離れるよう仏国民に求めていた。
英紙フィナンシャル・タイムズによると、東京からの退避勧告を出したのはフランスが初めて。
ほかの各国でも、日本への不要不急の渡航の自粛を自国民に求める動きが加速している。
米国務省は13日に自国民への勧告を発表し、水、食料の不足や交通、通信などの問題から、日本への不急の渡航を自粛するよう求めた。緊急の任務がない政府要員にも訪日を見合わせるよう指示したという。日本に滞在中の米国人については、在日米大使館は「日本の治安当局の指示に従うように」と求めている。
韓国外交通商省も日本への渡航自粛を勧告した。
東京の放射能2011.05.19のデータ
私の携帯電話はソフトバンクだが、日本から普通に電話が掛かってきた。ベトナムに来ていることを知らない友人に、高い電話代を払わしてしまったなア。
同行のYは40ドルでガイドさんにNOKIA携帯電話を買ってもらった。カメラなし電話本体30ドル、プリペイド10ドル。メールは漢字表示が出来る。入力はアルファベットのみ。日本でもドコモならシムカードを入替えれば使える。日本では数千円の携帯電話など売っていない。私はいつも小型のデジカメを持っているので、携帯のカメラなど使ったことがない。ベトナムから日本の携帯電話への電話は一分8円だ。日本国内での携帯同士の価格より安い。日本の携帯電話業界は仲良しカルテルで競争が無い。
同行のMとYは、SAPAでガイドさんに10万ドンでトレッキング用ステッキを買ってもらった。
旅行中は曇りと霧が多く太陽はほとんど出なかった。雨は最終日のハノイだけで、小雨だが傘が必要だった。ハノイでもFukushimaからの放射能が心配だからと、傘をさしているんだという人に話しかけられた。帰国後の20日には首都圏で雨が降ったが、傘を差さないで濡れるに任せて普通の歩調で歩いている人が大勢いたのに違和感というか、命や健康に関することに気付かせない情報操作に恐ろしさを感じた。日本のテレビ局も北朝鮮のテレビ局と同じく政府の統制下で報道していたのだ。
帰りの成田からの車中で、高速道路脇にあったガソリンスタンドに車が1kmも並ぶ姿に大震災後の物不足を実感した。家族へ何でガソリン不足なんだと聞いたら、大きな汚染が起きたときに少しでも遠くにへ逃げるために、皆、満タンにしておくのだという。
帰国の3/17に、原発事故による放射能漏れで、政府はコッソリ放射能基準値を30倍緩くした(食品衛生法)。水に含まれる放射線ヨウ素の基準値は、16日までの10bq/kgが、17日以降は300bq/kgなどの変更をしたのだ。しかも、水道水などの検査数値は3/11から3/22までは空白のままで、23日(金町浄水場で210bq/kg)から発表された(もちろん、原発事故以前から毎日行っていた検査だ)。原発の爆発では3月15、16日に放射能が最大の飛散をし、16日が一番放射能が高濃度だったことがニューヨークタイムズで報道されていたので、オーバーしたがための規制値緩和と放射能数値の公開中断だろう。規制値緩和に関して、枝野官房長官は「いままで規制値が無かったので新たに暫定規制値を定めた。規制値は、国際的にも厳しい数値だ。」と言い30倍へしたことは黙っていた。日本のマスコミはそのまま報道した。野党も沈黙したままだ。確かに規制値というのは日本には無かった。しかし、世界中に無いのだ。あったのは、食品衛生法にも書かれているガイドラインという名の基準値だ。政府は屁理屈を作りあげるために新たに暫定規制値という言葉を作って姑息にも正当性を主張したのだ。小細工を弄したというのがこれ程ピッタリの政治は珍しい。正に詭弁で、まやかしだ。いつの間にやら、いかさま師やペテン師が首相や官房長官になっている。「国際的にも厳しい数値」というのも「IAEAの定めた非常時に採用される規制数値と較べて厳しい」という意味だ。核戦争時に兵士を放射能にさらさざるを得ない場合の数値だろう。そしてWHOよりは緩い数値であることは黙っている。日本政府は北朝鮮政府の報道規制や詭弁や隠蔽体質を、非難したりお粗末さを哂っていたのに、同じことをしている。マスコミが外国の報道しか信じられない状況となっているのも、意味がない自画自賛だけは忘れない官房長官会見も、北朝鮮と同じだ。
短期でも外国旅行で外国の放送を見聞きしてから帰ってくると、このような非常時だからこそ、国民に真実を説明しながら、正面から謝ることは謝り、お願いすることはお願いし、国民の被害を少なくすることを仕事とすべき日本政府が、姑息で卑怯にも本来の仕事から逃げて、情報を隠すのを仕事としてきた状況が見える。
福島原発からの風向きさえ隠蔽し、報道させないのが仕事になっている日本政府って、何だろう。
風向きの隠蔽が国民の被爆量を多くすることは誰でも分かるので、そうまでして得たかった「政府にとってうれしいこと」って何だろう。
産経新聞の記事(コピー)によると「「SPEEDI情報はどこかで一元化して勝手に出さないように…」。官邸筋によると、枝野氏がこう指示したのは3月17日。同日のデータでは後に全村避難を強いられる福島県飯舘村で高い数値が検出されていた。」そうだ。
WHOの規制値(ウイキペディアから)
単位 ベクレル/kg
元素名 Pu(プルトニウム) I(ヨウ素) U(ウラン) Cs(セシウム)
おまけ
以下は岩波書店の理化学辞典(第4版:1989年、9790円)のセシウム137項だ。
インターネット文化以前は、岩波の「理化学辞典」が聖書みたいなものだった。
そんなことから、ウィキペディ゙アは素晴らしい辞典というのが分かる。
終わり(2011.04.04)
土壌の放射能測定は、IAEAも原発事故前の日本も土壌の表面から1〜3センチのすき取りで測定していたのだが、原発事故後は土壌に5センチの筒堀して地表部を捨てて放射能濃度を測っている。読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110401-OYT1T00786.htm コピー
放射能は微粒子なので地面の表面に多く付着する。そのため、IAEAの測定値と10倍の差がでているという。
汚染が見つかったほうれんそうの放射能測定も水洗いしてから検査したという。IAEAも3/16以前の日本も、洗ってからの測定などしない。「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」と「野菜検査法」では、ごぼうのような根菜は簡単に水洗して泥を落とすと書いてあるが葉物は水洗いとは書いてないので、違反しているおかしな検査である。数値を小さく見せるために姑息にコッソリと法律を変更する国の民は情けない気持ちだ。放射能値の測定は水洗いと水洗いをしない両方の数値を発表すればよい。
4月19日に、ある人から通達があると教えてもらった。厚生労働省のHPに載っていないが、水洗いへの指示をした通達。コソコソと不正を行っている。税金を払うのがバカらしくなる。水洗い記事
今後、政府は海産物や食肉検査へのまやかしやウソを、どう行うんだろうか。海産物に関しては先日、枝野官房長官が「いままで海産物への規制値がなかったから、野菜と同じ基準にした」と言っていたが、それなんだろうか?
人間の死亡率は100%だが、自己責任でアンテナを高くしないと、死ぬまでにすごく痛く、すごく苦しいとされるガンや白血病で苦しみ、早死にすることになる。特にストロンチウムは骨に溜まる元素だ。セシウムと違い、一度体内に入ると減らしにくい。その内部被爆で罹病しやすいのは、生まれる子供の遺伝子異常、白血病やモルヒネさえも効かないという骨ガンだ。そして各地のストロンチウムの検出量や累積放射線量は、まだ一度も発表されていない。これも政府による隠蔽だ。また、一般人の年間放射線量許容限度量は1ミリシーベルトだ。内部被曝もあるので外部被曝は通常0.5ミリシーベルトという(2011.04.19)
魚類の検査は、頭と内臓と骨を取っての検査に変更されたという。3/11以前の丸ごとの検査を止めたのは、食べる状態での検査をするためというが、頭と内臓と骨に放射能が集まるので数値を低くしたいがためでもあるだろう。、シラスなどの小魚の数値が高く出ているのは小魚は丸ごと検査をしているからだ。
リンク先は忘れたがグリーンピースだかで丸ごとと頭と内臓と骨を取っての比較をしていた。数値が倍半分との記憶がある。
おまけリンク(2011.04.20時点) 体内セシウムの減らし方 安全な食べもの水の放射能(203、4ページに記載) 記事 リンク集
大前研一の解説(どのマスコミよりも、これが正しかった) 3/13 3/19
日経2011.04.24
生物学的半減期というのは、摂取したものの半分が体内から排出される期間。同位体や崩壊での元素変化を考えない。ヨウ素の場合だと崩壊するヨウ素131の場合でなく、安定的なヨウ素127が体内から半減する期間と考えればよい。
今年体に蓄えられたストロンチウム90の場合に、50年経てば体にどのくらい残っているかは、崩壊でその間に1/4強になっているのだが、生体の組織入れ替えでその半分になるという意味だ。つまり、実際の体内ストロンチウムは50年で1/7ぐらいになっている。
元素の重さから思うに、プルトニウムやウランが分裂するとヨウ素とストロンチウム、セシウムとストロンチウムという具合に生まれるんだろう。
5月になっても3月の放射能レベルが発表されない
政府はインターネット内容のチェックを始めるという。間違った情報や風評被害を防ぐためというが、誰も信じてはいない。国民は、正しい情報を国民に知られるのを防ぐためと思っている。日本政府は北朝鮮政府のやり方が正しいので真似をしているのだろうか?政権運営が楽だからか?
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メモ
放射能量を少なく見せる理由:
東京でも外部被曝だけで、平常時の年間許容量の1ミリシーベルトを超えてしまうため。外国人が関西へ逃げたり、外国政府が飛行機の臨時帰国便を運行しているのはこのため。
本来、首都圏を含め乳幼児や児童、若い女性の疎開が必要だが、数千万人レベルなので、放射能量の現実を隠蔽して済ませようとしている。マスコミ、野党、外国などが政府に協力しているのはこれが、理由らしい。
放射能量を少なく見せるために政府が行っていること:
@放射線量の測定を高さ20m付近(場所により異なる。横浜は高さ23m)で行っている。測定結果に空白があるのは、停電などのためとしているが、地上から空中への測定場所調整のためか。放射能量は1/3になるという。民間の放射能測定量Aほうれん草などの野菜の測定を流水で洗って測定に変更、キャベツなどは葉を取ってかつ洗って測定へ。それでも平塚のほうれん草はヨウ素1700ベクレル/kg(暫定規制値2000)、セシウム230ベクレル/kg(暫定規制値500)で高濃度。特にセシウムは、今後地中へ入っていくので要注意。B土壌の放射能値測定を土壌表面からのすきとりから、5センチ深さの筒掘りにした。筒掘りにして、さらに表面付近を除て測定しているとの情報もあるC暫定規制値なるものを適用。原発事故以前のWHO基準は、いつの間にやら使われない状態にした。
こんな原発事故を起こし、自分を守るため情報を隠し、首都圏の数千万人を被曝させた日本の政治家や官僚機構が、国民として情けない。
2011.05.15に、ようやく政府は一号機の燃料溶融を認めた。あーア、政府の小出し作戦。1ヶ月後ぐらいに3号機の再臨界を認めるのかな?
福島市民が安心できるのは、1ミリシーベルト/年以下になる139年後だ。飛行機、レントゲン、バリウム胃検査やγ線だけでなくα線やβ線の影響も受けるので、実際に安心できるのは200年後ぐらいなんだろう。
福島市の放射能量推移予測など
500ベクレルのセシウムをとるとこんな回数の核分裂が体内で起きる。
500ベクレル/日の摂取は 福島や茨城では普通のことだろう。
500ベクレルのセシウムを取った場合に起きる体内での核分裂。生物学的半減期やセシウムの半減期(30年)は無視。
まだ、発表されていないストロンチウムなどの核分裂も実際には加算されるので、ガンにならないほうが不思議な気がする。
ベクレル・シーベルト換算(正しいかどうかは知りません)
放射能飛散図
野菜、魚、肉は福島、茨城、宮城、岩手、山形、栃木、群馬、千葉のものは、絶対買わないようにしよう。
なるべく避ける地域は、東京、埼玉、神奈川、静岡(放射能の情報公開に積極的でなく隠している疑いあり)ですね。
肉や魚や野菜は外国産や西日本のものを買いたい。
野菜は東日本の物しか売っていない店が多いので困っている。
<追記>
ようやくヨウ素の飛散図が発表された。
2年と3ヶ月以上発った、2013.06.26だ。
日経2013.06.27朝刊。
菅首相 菅2
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2008年
フランス人はマナーが悪い。
expedia2008年ランキング
ウラン235の核分裂による主な核分裂生成物(ウイキペディアから)
放射性物質名 日本(飲料、牛乳・乳製品)
3/17以降日本(野菜、穀物、肉野菜)
3/17以降WHO(平時、飲料水)
3/16以前の日本WHO(緊急時、飲料・牛乳) WHO(緊急時、食べ物) Pu238 Pu239 Pu240 1 10 * 1(Pu238 Pu239) 10(Pu238 Pu239) I129 I131 300 2000 10 100(I131) 1000(I131) U235 20 100 * * * Cs134 Cs137 200 500 * 1000 1000 生成物 収率 半減期 特記 セシウム133 6.79% 安定 一部は中性子捕獲により半減期約2年のセシウム134になる ヨウ素135 6.33% 6.57h 崩壊で生成するキセノン135は原子炉でもっとも主要な毒物質で10-50%が中性子獲得によりキセノン136になり、残りは半減期9.14hでセシウム135になる。 ジルコニウム93 6.30% 1.53My セシウム137 6.09% 30.17y テクネチウム99 6.05% 211ky ストロンチウム90 5.75% 28.9y ヨウ素131 2.83% 8.02d プロメチウム147 2.27% 2.62y サマリウム149 1.09% 安定 主要な毒物質のひとつ ヨウ素129 0.66% 15.7My 西暦 放射性セシウムとストロンチウム濃度
(半減期30年で計算 )福島市の放射能推移(γ線による外部被曝のみμシーメルト/時) 福島市の内部被曝と外部被曝の値を同等とすると。μシーメルト/時 福島市の原発事故による年間被曝量
ミリシーベルト/年例
平塚のホウレンソウ 2011/3/21にセシウムが230ベクレル検出。推移予測
ベクレル事故時 2011 1 1.4 2.8 24.5 230 30年後 2041 1/2 0.7 1.4 12.3 115 60年後 2071 1/4 0.35 0.7 6.1 57.5 90年後 2101 1/8 0.18 0.35 3.1 28.8 120年後 2131 1/16 0.088 0.18 1.5 14.4 139年後 2150 0.041 0.057 0.11 1 9.4 150年後 2161 1/32 0.044 0.088 0.77 7.2 180年後 2191 1/64 0.022 0.044 0.38 3.6 210年後 2221 1/128 0.011 0.022 0.19 1.8 240年後 2251 1/256 0.0055 0.011 0.1 0.9. ベクレル(回/秒) 500 500回 計算式 核分裂/分(一回だけとった場合) 30,000 3万回 500x60 核分裂/時間(一回だけとった場合) 1,800,000 180万回 500x60x60 核分裂/日(一回だけとった場合) 43,200,000 4320万回 500x60x60x24 核分裂/年(一回だけとった場合) 15,768,000,000 157億6800万回 500x60x60x24x365 一年間毎日500ベクレルを取り続けた場合の1年後の一日分核分裂/日 15,768,000,000 157億6800万回 500x60x60x24x365 毎日500ベクレルを取った場合の最初の一年間の合計回数 5,755,320,000,000 5兆7553億回 500x60x60x24x365x365 30年間取り続けた場合の30年後の一日分
核分裂/日473,040,000,000 4730億4000万回 500x60x60x24x365x30 30年間の核分裂合計回数 2,589,894,000,000,000 2589兆8940億回 500x60x60x24x365x365x30/2x30
ベトナムは親日国家だなあ。2015.06.05追加。