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本文へジャンプ 2007.10.10-10.17 
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55〜61歳の男4人でベトナムに行った。同じ会社の現役やOBである。横浜のベトナム料理店へ通ったり、原宿のカンボジア料理店へ行ったメンバーだ。
若いころから「偏屈」「皮肉屋」「いい加減」などと評されていたメンバー達だが、この年齢になると全員に「頭が固い」が加わった。これが今回のツアー予定表。7泊(機中1泊含む)8日だ。
ハノイからサイゴン(ホーチミン)まで南北鉄道で移動したかったのだが、手配がかなわず飛行機移動のツアーとなった。
ホテルは三つ星だ。費用11.8〜15.6万円。私は、イビキが大きいのと時折の痔持ちのため一人部屋にした。
朝食のみ付いているフリーツアーだが、現地では現地ツアーに入るつもりだ。
ホテルや空港への送り迎えがついているので、特に心配する事も無く、観光案内書は買わなかった。
出発2週間前の打ち合わせ時に、仲間の2人がガイドブックを買ったと言うのをチャッカリ聞いていたこともある。
今までの経験で、ガイドブックは買ってから旅行が終わるまでに30分も開かない。

成田空港内で40,000円を1ドル札が多くするように依頼してドルへ両替した。「ベトナムの物価の安さ」と「食事が朝食のみのツアー」を勘案して4万円程度でいいだろうと思った。両替した10ドル紙幣を更に1ドル札へ替えてもらう。1ドル紙幣が33枚になった。ちなみに、最終日に現地ツアー旅行社のICCで10ドル札を1ドル札に両替したが使用せず。トホホ。トホホの意味は後述。
旅行中、これで足りた。

ハノイ
 2007.10.10(水)          
成田を19:00出発、ベトナム航空の筈がJALだった。JALはエコノミー席が狭く安全も疎かなど、評判が悪い航空会社なので乗りたくはなかった。夜ハノイ到着。0時頃ホアビンホテル(HoaBinh)着
部屋の冷蔵庫にあったビールで、一人で乾杯した。ビア・ハノイという名で地ビールか?


ホテルなのに一本1ドルだった。2本飲んだ。日本の地ビールは銀河なんだらビールに代表されるように、高くてまずいが、これは安く旨い。ホテル玄関


良いホテルと思うが、レストランでテーブル上の壷がどちらが胡椒か塩かの判別が付かず、壷のフタを開けたら、壷の中に小さな虫がいたのが気になった。
朝食ブュッフェで飲もうとしたオレンジジュースの中にもいた。
しかし、胡椒や手あかを食べる虫と人間が同じウイルスで病気になるわけではなく、日本のように殺虫剤漬けでない証明なので、良いことなのだろう。
ここの目の前で焼いてくれるオムレツは、具沢山でおいしい。
味を占めて今回宿泊の全ホテルの朝食ブュッフェでオムレツを頼んだが、ここが一番だった。なお、泊まった全てのホテルで、オムレツを目の前で焼いてくれる。


ハノイ市内ツアー 2007.10.11(木)

朝食後の8:00にロビーのツアーデスクへ行って、ハノイ市内観光ツアーを頼んだ。日本語ツアーはなく英語のツアーだった。
9:30出発でランチ付き、15時までのツアーだ。費用は18ドル/人(多分)。車は8人位のお客が乗れるベンツのワゴン。
ホーチミン廟、大学跡、公園、孔子廟、ランチ、そして郊外の焼き物村バッチャン、そしてハノイ駅で解散した。
特に見所は無かった気がする。
なお、人気のハロン湾へ行くには、朝6:00出発が必要である。観光よりも寝坊で楽をしたい中高年には無理だ。

ホーチミン廟
事前にハノイの観光地はここしか知らなかった。


レーニンや毛沢東と同じ、保存処理をして生きているようなホーおじいさんが見れるホーチミン廟は
工事中で閉まっていた。

ホーチミン廟前広場
動画

ホーチミン廟横の駐車場を歩いていた幼稚園児
写真をクリックすると拡大



旅行した後の感想だが、日本人は幼い頃が可愛いが、ベトナム人は少女から20代が可愛い。
私は「美しさと優しさと愛嬌とスタイルに関し、10代後半以降の日本人女性はベトナム女性に負けている」ことを認める。
「日本人の男はどうなんだ」に対しては、彼らに「勉強と労働の熱心さと性格の良さでは負ける」ことを認める。

ホーチミン廟隣にある公園内にある一柱寺。


柱はコンクリ製。昔は木だったのだろう。


関帝廟
商売の神様の関羽を祭ってある。一ドルのお賽銭。


まだドンを持っていない。

文廟
科挙合格の奉納碑



石碑が亀の上に乗っている理由

亀の名前は贔屓だ。


大学跡という。沖縄の建物のようだ。瓦がきれいだ。共に中国文化なんだろう。

ベトナムも100年前までは漢字文化だった。東端は日本、南はベトナムの先まで同じ文化だ。中国の大きさを改めて実感する。

文廟の門




ツアーのランチ
レストランの
コム・ヴィエット(Com Viet)

旨かった。

メニュー


9品が出た。

生春巻き




一番おいしかったのは酢豚のような5番だった。

牛肉は、水牛なのであろう、味が無くチト硬かった。

ハノイの町には、汚い貧民窟のような所が無い。これは今回行った全てのベトナムの地で同じだった。
旅行中に、あるベトナム人から「ベトナムは共産党員がお金持ちの国」との不満を聞いたが、いやいやどうして、外人旅行者から見ると立派な政治が行われていると感じる。

バッチャン陶芸の里

月光仮面かと思った。マスクから手袋まで一体だ。バッチャンへの途中の紅河付近で。


紅河を渡る
動画


陶芸には興味がないのでバッチャンに関し書くことは無い。連れて行かれた店には大型バスに乗った日本人旅行者が大勢いた。

私は店の外でブラブラしていたが、興味のあるメンバーは熱心に作業工程を見物していた。しかし、彼らに日本の有名陶器の生産地へ行ったことがあるかを聞いたら無いとの事だった。

それに、ガイドが信用できないやつであることが判明したのだ。
バッチャンに行くことになったときに「バッチャンは遠いから14$ per personを出せ」と言ったのだ。昼食付きの一人18ドルのコースに一人14ドルを追加で寄こせとは高い。「冗談じゃない。近場を周れ」と言ったら、「お金はいいです」と前言を翻し無料でバッチャンへ行くことになった。
明らかに小遣い稼ぎをしようとした言動で、また瀬戸物屋からのキックバックを期待しているのだろうとの疑いをい抱かせる行動で、残念だった。
こんなこともあり、バッチャンでは全員が何も買わなかった。


ハノイ市内へ帰る途中の風景。紅河の堤防上が道路だ。

バッチャンからの帰りにガイドさんから「どこか行きたい所はあるか?」と聞かれたのでハノイ駅に行き、駅でツアーを終わりたいと言った。
今、考えると革命博物館や軍事博物館へも行きたかったが、観光案内書を持っていないので、ハノイの観光地など知る筈も無い。


ハノイ駅
ハノイ駅でツアー車と別れた。

ハノイ駅は真ん中の灰色の部分だけが新しい。ベトナム戦争時に米軍の爆撃で真ん中が破壊されたからという。

ハノイ駅内
動画(MOVファイル、29M)
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悪いやつであるガイドの青年はサイゴンで2年間英語を学んだそうだが、凄く英語がうまい。
しかし、ベトナム人は日本人の英語発音が分かり難いようだ。
我々との意思疎通は、パンフレットの裏に英文を書いて行うことが多かった。
簡単な英語でも、しゃべれず、聞けない我々の学校英語は何だったんだろうと思う。


駅からホテルまで約20分の道のりを歩いた。
・途中の商工銀行で10ドルをドンへ両替した。初めてドンを持つ。
ドンは持っていないと不便だが、無くても何とかなるので、この旅行の最初で最後の両替だ。100ドンが0.8円。10万ドンで約800円。
・途中に洒落たカフェがあったので入る。


夕食

旧市街へ、ベトナム料理を食べに行こうということになった。仲間が持っていた観光案内書には、旧市街のレストランは2軒しか載っていなかった。
その中の唯一のベトナム料理店がハノイの名物料理の雷魚を出すのチャー・カー・ラ・ボン本店だ。
ホテルからタクシーで向かった。言い値の5ドル支払った。

行ってみたら、小さく汚い店構えである。とても名店らしくない。
ハノイの名誉のために言っておくが、ここより大きくきれいで名店らしい店は他にいっぱいある。
しかし、100年の歴史がある雷魚と香菜の鍋料理屋だ。是非、食べたかったので行ったのだ。
一階はガラガラだったが、我々と同時に後から入ってきた西洋人が急階段を登って2階へ行った。
我々も後に続いた。2階は半分以上埋まっていた。殆どが現地のベトナム人だ。

たっぷりの油を引いた金属鍋で、既にフライしてある雷魚と香野菜を七輪で焼く。
食べ物はこの80,000ドン(約600円)の料理一種だけの店だ。オプションもない。
店員さんへは、人数を示す4本の指を見せればOKだった。

ビールに入れる氷の入った箱を足元に置いている人がいた。(出てくるビールは冷えていたが、鍋の木炭火ですぐ温まるのだ)
雷魚は骨がなかったが、ちと臭かった。セリのような香野菜は旨い。

七輪に置いた空の鍋と雷魚と香野菜が山盛りの皿が出される。最初だけ店員さんが料理してくれる。
「そうするのか、分かったよ」と、自分達でやると、日本の鍋の調子でドンドン鍋に放り投げてしまう。
周りのベトナム人の4倍のスピードで鍋へ入れてしまうのだ。そして食べられなかった香草が黒く揚がってしまう。
半分炭化した香草を取り置いたり捨てたりする皿はない。あわてて空の皿を頼んだが、なかなか来ない。
シブシブ炭化が少ない草を食べるか、邪魔な炭化物を鍋の脇にどけることになる。
そのうち料理前の野菜や雷魚が載っていた皿が空になった。
頼んだ空皿は食べ終わる頃来た。

「美味かった」と自慢できる料理ではないが、せっかくハノイに行ったのだから、名物なので食べてよかったと思う店ではある。
また、日本人には臭い雷魚より、マグロやイカやタラのほうが美味いと思う。
下の地図で、一番上方のホテル名マジェステックサルートの「ト」に当たるところにある。

店でもらった名刺


シクロに乗る

レストランからホテルまでの帰りはシクロに乗った。前交渉の後払いである。
動画

5ドルの言い値を3ドルで決着した。ベトナム旅行の目的の一つを達成した。
一人一台にずつ乗り、4台が連なって移動した。

お客にお尻を向けるのは失礼ということでこの形になったという。
降りる時に、「ビールを飲みたいのでチップをくれ」「5ドルの約束だった」とかを、4人全員が言われた。
体に触ったり声が大きいという事は無く、インドを経験している身には自然に無視できる要求だ。
口を動かすことで、生業の効率向上を図ろうとする行為は、どこの国でも行われている。
「5ドルの約束だった」と言い張った運ちゃんは悪質なので、払わないでホテルに入ろうとしたら慌てて3ドルを受け取った。
4人だし、何かあったらホテルに駆け込めばいいし、酔っていたので、チョット強気になったのかもしれない。


バイクタクシーに乗る。2007.10.12(金)

朝、朝食を済ませ7時半ごろ散歩をしようホテルを出たら、玄関横にバイクタクシー屋さんがいた。
声を掛けた。「一時間、このホテルの周辺を観光したい。ついては最初にハノイ駅に行って欲しいが、幾らだ」と聞いた。
ハノイ駅は昨日行ったが、時刻表を買い忘れたので再訪問だ。
運ちゃんは「10ドル」と言ったが6ドルに値切った。運ちゃんは、5ドルでも3ドルでも良いような感じだった。
私にも10ドルだろうが、3ドルだろうが、どうでも良いことだった。
今回の旅行の目的は、バイクタクシーに乗ることもあったので、シクロに引き続き目的達成だ。

バイクタクシー動画(1)

上の動画は、2007.11.15頃にYouTubeでベスト動画に選ばれ、YuoTubeの表紙画面を飾った。3日で1万5千を超える視聴数になった。

上の動画(&fmt=18)オプション付き

バイクタクシー動画(2)  上の続き。
動画


最初に行ったハノイ駅で15分つぶしてしまった。

昨日、来たときには鍵が閉まっていたホームへの扉の鍵が開いていたので、ホームへ入ったのだ。

目的の時刻表は売っていなかった。
売店のお嬢さんは、私が時刻表が欲しいと言うと、掲示してある時刻表を手で示して教えてくれた。
表を見なさいということだ。表の前に行ったら安心した笑顔を見せてうなずいた。
国民が優しい国だと思った。
戦争で我々年寄り世代が少ない国なので大切にするのかな?とも思った。各国の平均年齢など
我々団塊の世代は、少年時代に50代のおじさんを見てお爺さんと思ったものだが、その時代より年寄りが何分の一も少ない国だ。
ベトナムでは50代後半は、真っ盛りの100%の正真正銘の老人なのだ。
俺はまだ元気だと思っている日本の団塊世代は、駅構内のガラス窓に写る自分の姿を見てチョット寂しくも感じた。

時刻表は、列車本数が少ないので作っていないようだ。(時刻表は当ページ最下部に載せた。)
日本では私鉄の駅で、よく歯科医の宣伝が入った小さい文字の定期券サイズの時刻表を配っているが、ベトナム鉄道は全駅の時刻表でもそれより2倍大きな字で書ける運行本数だったのだ。

ハノイ駅を出たときは、出発から25分近く経過していた。

その後、ハノイ北側にある、広場に建つ立派な教会とホアンキエム湖に行った。
立派な教会では、運ちゃんが何かしゃべって説明した。私はその時に名前が理解できなかったが、帰国後調べたらハノイ大教会だった。
ホアンキエム湖は昨日周りを通行して大体の景色は分かっていたので、運ちゃんは立ち止まろうしたが、脇を通るだけでホテルへ帰ってもらった。
バイクタクシーの所要時間は45分だった。



運転手は観光が終わってホテルへ帰ってきたら、ハノイ地図や絵葉書をそれぞれ1ドルで買わないかと提案した。
地図は、欲しかったが結局、買わなかった。

私が、彼から買うのを躊躇したのは、彼の提案が、私が長年勤めていた会社のソリューション商売と同じ企画だからである。
その商売のやり方は、自社の得意分野で掴んだお客へ、世間相場より価格が高めの自社ソリューションを提案し売り込もうとするものだ。
彼の商売も同じ発想で行われているので、高めと思い警戒してしまったのだ。
彼のソリューション提案を聞きながら、同じ商売のやりかたを素晴らしい発想であるかのように自慢げに話していた、前に勤めていた会社のサラリーマン役員の顔が浮かんだ。

結局、地図を買わないで帰国したので、このときに買っておけばよかった。
数十円を惜しんで後悔するのは、自分が愚かだったのだ。
今なら20ドルで提案されても買うだろうと、みみっちく考えている。



バイクに乗るのは、上記で3度目で全て後席だ。
1回目は35年前のギリシャのロドス島だ。知り合った若者とディスコへ行った。大型バイクだったので急加速で振り落とされるかと思った。
2回目は、30年前に千葉県野田市で冬夜に乗った。寒風で凍え死ぬかと思った。

3回目が今回だ。
快適だった。加減速をゆっくり行うので両手を離しても怖くない。流石はプロだ。ヘルメットはしない。

4回目を後述する今回の旅行中のフエで乗った。


ハノイ駅

「GA:ガ」は駅というベトナム語。そういえば、イスタンブールの駅には「GAR」と書いてあった。パリの駅は「GARE」だ。ユーラシア共通語か?


昨日、来たときには鍵が閉まっていたホームへの扉が、開いていた。

ホームへ入る。

ベトナム鉄道は線路幅が1000ミリだ。JRの1067ミリより狭いが、違和感は感じなかった。
尚、新幹線の標準軌は1435ミリ。

写真を撮った。


列車を清掃中だった。

ベトナム鉄道の客車。


待合所に掲示されている、ベトナム南北線の時刻表

大きい写真

ベトナム南北線料金表

大きい写真


バイタクの運ちゃんに撮ってもらった。


ハノイ駅の花
ランタナという。最初はプラスティク造花ではないかと思った。

この花は、アジサイのように花の色が変わる。

ピンクから赤になって黄色になってまた赤になるのだろう。
花の色は昆虫向けと云うので、4原色の虫の目にはもっと多彩な変化があるんだろうなあ。
魚、鳥なども4原色だそうだ。一番多いのはシャコで16原色という。シャコで多いのは足だけでなかったのだ。

帰国後知ったが、ランタナは日本でも栽培されている。


10月12日10時にホテルを出発し空港へ向かう。
昼食はハノイの空港で食べた。ピラフは美味くなかったが不味くもなかったという。私が頼んだ麺は、ぬるいお湯で戻されたインスタントラーメンで不味かった。
フォーを食べたくて「ヌードル」言ってオーダーをしたのが失敗だった。後日、理解したが、どうもヌードルは、ベトナムではインスタントラーメンらしい。
しかし、そんなことはこの時に知らない。またお土産にベトナムのインスタントラーメンを買おうと思っていた気持ちがここで挫けた。
フォーはフォーと言うべきだったのだ。

ダナンへの飛行機内でサンドイッチが出たので、空港なんかで食べなきゃ良かったと思う。
この時はハノイも成田と同じく食事や買い物が駄目なところだと思った。成田と同じで利権があるところに悪がはびこると思った。

ベトナムで大勢見た月光仮面に悪を退治して欲しい。

♪どこの誰かは知らないけれど♪誰もがみーんな知っている♪
月光仮面の姉さんは♪正義の味方よ、良い人よ♪
♪悪いやつらをやっつけて♪

♪成田とハノイを正してね♪

でも、今ではハノイ空港は腐っていず、私のオーダーの仕方が悪かったと思っている。インスタントラーメンでは美味い筈がないのだ。
贔屓目に見てもやはり腐っているのは日本だ。いつの間に一人当たりGDP順位が23位と1960年代と同じまで落ちぶれた日本だが、利権を守ることだけは一流国のままなんておかしいのだ。

2008年は23位。

ハノイ地図(JAL-HP)


気を取り直して
NEXTホイアンへ続く




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