戻る

Counter
奈良へ(2011.03.04-05)

3/3(木)に大阪へ行った。
ついでに3/4(金)午後から、5(土)は午後2時まで奈良観光をすることにした。

京都は関西へ行った帰りなどに何度も寄っているのだが、奈良は、中学時代の修学旅行以来だ。

2011/03/04(金)
大阪からJRで移動。

興福寺


千手観音立像などさすがの国宝群が集まっていた。
阿修羅像は思っていたより小さかった。

阿修羅は戦いの神だそうだが、インドのカーリー女神と同じような神なんだろう。


参考



左の手は欠けている。阿修羅像もそうだが古いものだからなあ。





奈良国立博物館


展示物は見ごたえ充分だ。

東大寺

中門



大仏殿。古い大きな建造物に感嘆する。

大きな写真   大きな写真2

大仏も巨大だ。


鎌倉の大仏は何度も見ているが、その段違いの大きさにビックリだ。大きな写真
大学で受けた「金属加工学」で、最初の授業のイントロ15分間に説明があったのが”大仏の作り方”だった。型を作って溶かした金属を上から流し込むというのが一番簡便な加工方法という話だ。大仏を見ながら突然、講堂の黒板で講義する教授の姿と講義内容を思い出した。そんなことで、ありがたく思いながら大仏をじっくり見たが、精緻な造りで簡単に作ったとは思えなかった。





太い柱をつくるために柱の外側は、少し台形にした材木を、釘で心材の丸太へ打ち付け、鉄の輪で束ねている。また高さを得るために縦方向は、2本の丸太を継いでいるという。(丁度、柱くぐりをしていた小学生の団体に東大寺の人が説明をしていたのを脇で聞いた。)
有名な柱くぐりの柱は、柱の断面が見える。柱の中心となる丸太は太く、その外側に打ち付けた台形板の厚さは15センチくらいだ。


中学時代の修学旅行時には、柱の割れ目や傷に1円や10円玉が一杯差し込んであった。そして、このような行為を、なぜ寺は放っておくのか不思議に思った記憶がある。今回は一枚も見ず、また柱も大きな傷が無くなっていたので安心した。日本人のマナーはこの半世紀で良くなっている。また、柱の外側板は、適時交換している に違いない。
床とか柱石、大仏の台座などは新しいので、明治36年の改修時のものだろう。

参考



東大寺二月堂



若草山



春日大社




新薬師寺


大通りに客寄せの看板が多かったので行ったが、東大寺や興福寺が500円の拝観料なのに600円。見るとところは上写真のお堂だけだ。
興福寺は十二神将像が十二支順に並んでいたが、ここのはバラバラだった。バラバラに並んでいる理由の説明を堂内で探したが無くて、分からなかった。
春日大社でヘトヘトに疲れていたのに、ここは奈良駅方向と思い更に歩いたのだが、案内板は段々と横を向き始めた。そして遠かった。来て失敗と思った。
とは言え、ロウソクの明かりで照らされている堂内の十二神将像は素晴らしい。
拝観が終わったら体力的に限界だった。大阪のホテルへ帰るため奈良駅へ移動しなければならない。ここからしばらく住宅街を歩いたが興福寺横の池に出るまでタクシーに会わなかった。興福寺辺りまで来ると、駅までの行程の大部分を消化してしまったことになり、依怙地になって駅まで歩いた。

JRで宿のある大阪へ。宿泊はラマダホテル。


2011/03/05(土)

JRで再訪。

唐招提寺

大きな写真 きれいな建物だ。朝早いためか観光客は10人ぐらしかいなかった。
鑑真像は、6月に3日間だけ公開とかで見れない。
鑑真は昨年行った西安の大雁塔に経典を納めた三蔵法師(玄奘)の孫弟子である。唐でも信望の厚い偉いお坊様だったので、玄奘がインドから持ってきた貴重な仏舎利の一部を754年に日本へ持ってきた。なお、唐招提寺は652年建立の大雁塔の約100年後の759年に建立されている。





徒歩で薬師寺へ

薬師寺


塔内の拝観は別料金だが、お坊さんの説明が聞けた。
この塔は3月中旬から補修のため10年以上公開中止となる。心柱を調べたら中空になっていて薄いところは、表面から3センチだったのだそうだ。
補修時に全てを解体撤去するので、この場所は一度更地になる。
おばさん拝観者の「仏舎利の有無もそこで分かるのか」との問いに、説明員のお坊さんがちょっと慌てながら「仏舎利の有る無しの確認という具体的な質問がありましたが、解体し更地にして‥」と前の解体の説明に戻っての長いが意味の分からない回答をした。そこでおばさんは「そこで分かるんでっしゃろ」と言って締めた。さすがに浪速おばさんはパワーがある。

右側に塔の先だけ見えているのは、左側の塔工事に合わせて作ったコンクリ製。
薬師寺の玄奘三蔵院伽藍には玄奘三蔵の遺骨がある。戦争中に南京で日本軍が発見し持ってきたものという。

2013.07.08 日経夕刊記事(追加)

なるほど、痛んでいる。


薬師寺近くの近鉄「西ノ京」駅から「近鉄奈良」駅へ。そして、歩いてJR「奈良」駅へ移動し、JR「法隆寺」駅へ
近鉄西の京駅のゴミ箱。

法隆寺


大きな写真 法隆寺には見ごたえあるものが多い。



夢殿。



上野の国立博物館の法隆寺宝物館で年に一度公開される面(能面?)が、展示されているのかと思ったが、数個だけそれらしきものがあっただけだった。
同じ敷地内の中宮寺も入った(別料金500円)。



法隆寺駅から大阪へ。



感想
・奈良はすごい。昨年行った西安よりも、数段上のレベルの観光地だ。
・唐招提寺と薬師寺、春日神社、新薬師寺はほとんどが日本人だったが、他のお寺は観光客の1/3が中国人だ。奈良は中国人に人気があるようだ。戦乱に明け暮れた中国には、レンガや石で作られた建物でもほとんど残っていない。奈良の木造建築が残っているのは、日本が平和な歴史を持っているからだ。中国の戦争は紀元前何世紀でも数十万人レベルだが、日本では約2000年後の源平の戦いでも数百人レベルだ。
・以下によると近代以前の人類は15〜20%が戦争で死んでいたと言う。島国の日本は今まで平和な時を過ごしていたのだ。例えば、元寇時に中国の支配下に入ったとしたら、日本も過酷な時代に入っていたのだろう。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51795121.html

・JR東海やJR関西、近鉄の駅にはゴミ箱があった。そのお客様を向いた経営に感心。
JR東日本や首都圏の私鉄は、22年前の大喪の礼以来、楽をして経費節減が出来るゴミ箱撤去を続けている。

JR法隆寺駅のゴミ箱

・大阪「梅田」地下街は大きすぎる。迷路のようで同じところに2度と行けない。
・JR大阪駅の巨大屋根にはビックリした。
・地下鉄の初乗運賃200円は高い。公共交通機関は100円以下で運行してほしい。もっとも、仙台や名古屋や福岡の地下鉄も、都バスも200円、横浜市営バスなど210円なので、世間では高いと言うほどの運賃ではないのかもしれない。
・大阪から奈良までの移動は近鉄が正解だ。コインロッカー数はJR奈良駅に30個ぐらいしかないが、近鉄奈良駅には数百個ある。運賃も安い。
・東大寺には感動だ。大仏殿の荘厳さもそうだが、見るべきものが多くある。
・帰宅後、電車のルート図を見たら、奈良と京都は近い。3月4日の宿泊は京都にすればよかったと思った。
・鎌倉にある国宝の仏像は大仏だけという。なるほど奈良の仏像群は素晴らしいと思う。しかし下写真の唐招提寺の鴟尾(シビ:仏像じゃないけど)が国宝ならば、鎌倉にもっとあっても良いんじゃないとも思う。

















7角形の入場券だ。








井上やすし「4千万歩の男」の第二巻を購入。


梅田にあるB級食堂「宮本むなし」へ入りたかったが、シツコイものばかりで、食べるものがなかった。



戻る

房総半島

inserted by FC2 system