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 シェムリアップ旅行記
2008年1月25日〜31日に55〜63歳の初老5人でシェムリアップへ旅行した。

今回のツアー旅行にホーチミンでの2泊を追加した。

e-visaを持参した。

2008年1月25日

空港
ホーチミンで乗り換えてシェムリアップ空港へ。飛行機の乗客は95%が日本人。5%は西洋人。老人比率も95%。


空港はカンボジアらしい建物で好感を持つ。我々の飛行機のすぐ後に大韓航空が到着。乗客の100%が韓国人の若者だ。
観光客数のベスト3は韓国人、中国人、日本人の順という。

ツアーに付いていたサリナ・ホテルでの夕食だが、ホテルのレストランで食べていたのは我々だけ。揚春巻は、冷たく干乾びていた。質量共にお粗末であった。


2008年1月26日

街中からアンコールワット途中の入場門の窓口で写真を撮り、3日間の入場証を入手する。近隣の遺跡に通用する。40ドル。

入場利権はSOKHA HOTELグループが握っている?

アンコールトム
南大門。
顔の下に道路があるが、車一台分の幅しかない。狭いので渋滞していた。




南大門を横から見る。

南大門を入り、城壁を見学する。

アンコールトムの壁彫刻


アンコールトムの彫刻



アンコールトムの作りかけの彫刻像


建物を積み上げてから、彫刻したことが分かる。失敗すると修復が難しいので、気が張る作業だろう。




アンコールトムのバイヨン(塔)
上部が崩れている。




ツアーバス。3日間を14人で使った。



アンコールワット
取巻くお堀に掛かる橋



アンコールワットのバイヨン




訪問したときは工事中でバイヨンへ入れず。工事は2ヶ月間という。たまたま悪い時期に行った。

階段が急で、死亡事故が起きた為の工事という。


日本の援助で遺跡修復をしている場所が何箇所もあった。観光で生きるカンボジアへの援助なので喜ばしいことである。

浮し彫り壁画


泊まったサリナホテル


シェムリアップ観光に来る東洋人は、年寄りの95%が日本人、若者の95%が韓国人だ。

プノン・パケン遺跡
夕日を見に行った。




この辺りには街灯など無い。
上の写真を最後に下へ降りたが麓に着いたときは真っ暗だった。

夕食


アプサラダンスディナーショーを見ながら鍋料理。種類と量が少ないが、前日の夕食や昼食がひどかったのでマアマアと思った。



皆、若そうだったので年齢を聞いたら、女の子の司会は20歳、楽団員は14歳から19歳、踊り子は子供たちまで入っている。チップは20ドルを奮発した。


2008年1月27日
アンコールワット
朝日を見るツアー




朝日を見に来ていたのは、老人の日本人と若者の韓国人と猿だけだ。



この後、朝食のためにホテルへ帰る。

タ・プローム遺跡



ジャガマルの木に覆われている遺跡が多くある。












石材が落ちているのは、崩落した建物を、まだ組み立てていないからだ。




プリア・カン遺跡






東メボン遺跡
夕日を見る。



このほか東洋のモナリザと呼ばれる彫刻のあるバンテアイ・スレイ寺院へも行った。


2008年1月28日

トンレサップ湖観光

動画:11湖畔の家々

動画:舟の舵

動画:少年の操舵




舟を操りバナナを売りに来た可愛い姉弟がいた。5歳くらいの弟から1ドルで買ったら、お姉さんらしい7歳ぐらいの子が「私からも買ってよ」と駄々をこねた。
いくら5人でも、女の子が手に持っているバナナ2皿は食べられない。



月曜なのでこの子は学校へ行けない子だろう。カンボジアは義務教育が無い。

この後、シュリムアップへ戻り、オールドマーケットを散策し、昼食前にツアーは解散した。


オジギソウ
至るところで生えている。葉に触るとお辞儀する。



プルメリア(インドソケイ)


プルメリアの葉


オールドマーケット前の公園で撮った。


昼食をホテルで撮る。
午後からは、3つに別れバラバラに行動した。

5人の内、3人は再度、アンコールトムへツクツクで行った。私は2度目の法則を信じているので参加しなかった。
2度目の法則とは、最初の訪問で感動した場所でも2度目はツマラナイ場所になるというものだ。
一人は、ホテルで休んだ。

私はツクツクでカンボジア民族文化村と戦争博物館へ行った。
ツクツクは2日前の夜にメインマーケットまでの帰りに使ったので、2回目だ。


カンボジア民族文化村
動画:文化村での踊り
カンボジア人が大勢来ていた。この踊りの最中も、皆さん大笑いしたり手をたたいたりして喜んでいた。


戦争博物館

入場券





私がいた時間帯の入場者は私と、アメリカ人グループだけだった。
アメリカ人は戦争おたくらしく一つ一つ熱心に見ていた。



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夕方にシェムリアップを発ち、ホーチミンへ向かった。


カンボジアの印象
・将来:国民の平均年齢24歳という若い世代が多い国だ。でも、この国の発展は30年は無い。
カンボジアはフィリピンと同じく人材派遣と農業で生きる国になるのだろうが、義務教育のない国では大勢の優秀な人材は生まれまい。
年寄り世代が戦争で死んでしまったベトナムと、年寄り世代がポルポトに国土の肥料にされたカンボジアをどうしても比較してしまうが、ベトナムには国を豊かにしようとする優秀な指導者がいるが、カンボジアにはいない。気の毒にも、将来に希望と夢が持てない若い国なのだ。日本も、有能な指導者がいないので、外国から見ると将来に希望と夢が持てない枯れゆく国に見えるのだろうから、人のことを言うのはミットモナイのだが‥。
・食事:残念ながらカンボジアの旅行中美味しい食事に巡り会わなかった。食事付きツアーだったからかもしれない。朝は朝食ビュッフェだったが、果物が少なく、並ぶとすぐに無くなった。昼飯は日本人や韓国人団体向けレストランで食べたが味も量も不足した。70代後半のおばあさんと料理の取り合いをしたのが思い出だ。
夕食もお粗末だった。夜に、シュリムアップのメインマーケットへ行ったら、どこから涌いてきたんだろうと思うくらいの観光客が、レストランでおいしそうな食事やお酒を楽しんでいた。ツアーに入るならば夕食は無いコースが正解だろう。また、ツアーにはホテルを選べたりするものがあるが、食事を選べるツアーがあるならば良い食事のコースを選ぶべきだろう。フランスパンのバケットもベトナムのほうがおいしい。
カンボジア人には、私のように太った人はいないので、食事の量が少ないのは仕方なく、また太った我身を反省する国でもある。

・お土産:お土産を作る産業さえ無い国だ。70代の女性は、みやげ物屋に売っていた焼き物を見て「ベトナムのバッチャンで買ったのと同じだ」と言っていた。私は、ガイドさんにコショウが名物と言われたので、それを唯一のお土産にした。
・病気:一人が下痢をした。2日目の夜に、ホテル近くの果物屋へ行き何種類もの果物を買って食べた。特に洗って食べなかったので当たったのかもしれない。
・日本のODAで作られた道路があった。車の通行量は少ないのに、片側2車線で街灯は日本の道路と同じ数がある。無駄な道路を作り、電気の不足しているカンボジアで無駄な街灯である。情けないことに日本政府は日本と同じ無駄をカンボジアでも行っていた。
・TVチャンネル:中国語は10チャンネルぐらいあった。韓国語も5チャンネル以上、しかし日本語はNHKのみ。しかもNHKは英語放送が多く、教えられるまで気づかなかった。中韓の台頭と、落ちぶれて行く日本を実感する。そういえば、昨年からG7で一番の貧乏人(一人当たりGDPが低い)は日本人になったという。


カンボジア旅行 **終わり**


ホーチミンでは2泊した。

ホーチミン。
2度目なのでバイクタクシーと徒歩で市内を歩き回った。ホーチミンでもシェムリアップをまねて、昼食後は昼寝をしにホテルへ帰った。

宿泊ホテル


食事メモ 。( )内は上中下の評価
1/28夕食:シュリムアップ空港で焼サンド(中下)、飛行機で軽食(下)。
1/29朝食:ホテルのビュッフェ(中下)。
1/29昼食:POST OFFICE横のレストランでバケットサンド(中)。
1/29夕食:ドンコイ通りを歩いていたら、まだ明るい時刻だったが店の前にいた客引きに呼び込まれレストラン19に入った。
そんな時間なのに、チョット混んでいたのは熱心な客引きのためか?店のお勧めは海鮮スパゲティと揚げ春巻きというので頼んだ。海鮮スパゲティは塩味が濃く、エビや貝は新鮮なんだろうが美味くない、また、春巻きはサリナホテルで食べた冷凍食品のようなものだった。値段が高いのは観光客向けだからだろう(下)。下写真は箸袋

1/30朝食:ホテルのビュッフェ(中下)。
1/30昼食:ベンタイマーケット内でフォー(中)。食事中に日本人団体観光客が何組も後ろを通った。
1/30夕食:ホテル近くのレストランで牛肉鍋(上)。安くて美味くでサービスが良い。大満足。ベトナム人で混んでいた店だ。
食通の邱永漢が著書で述べているように、現地人で混んでいる店が正解だ。


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